| 普通の人のエコロジー入門
第1章 なぜ、普通の人のエコロジー?
地球にやさしくとは言うけれど・・・(その3)
こうしてできあがったのが、ロッキングオン『H』の“ECOLOGY ISSUE”だった。表紙には小泉今日子さんが登場。目次を見てみるとこんな内容の号だった。
ロッキングオン『H』1999.July
- 小泉今日子
小泉今日子さんが三重県のエコロジー村“赤目塾”を訪れ、自然農法を提唱する川口由一さんとの対談が実現しました
- 市川実和子
エコライフを実践する実和子さんが、仲良しカメラマン花坊さんと香港エコ事情を現地からレポートします
- RAINBOW ECHO
神戸と東京で行われたベネトンのコレクション。テクノとファッションが融合したエコ・イベントをご紹介します
- hitomi×伏見京子
エコファッション誌を創刊した伏見京子さんがhitomiと一緒に東京の不燃ゴミ処理場へ。同行したしまおまほさんのマンガレポートつきでお届けします
- CHARA×テイ・トウワ
第2子を授かったチャラと田舎生活をスタートさせたテイ・トウワが語りあった「音楽とエコロジー」
その他にも、SILVAが「#401」という手作り製品をつかったサロンを訪ねたり、我那覇美奈が阿佐ヶ谷のラピュタを探訪した記事なども掲載されている。
こうしてあらためて見てみると、僕自身がスーパーバイザーを務めている雑誌『Lingkaran』の原点がここにあった気がする。ミュージシャンやアーティストが、エコロジーのリアルな現場やオーガニックの先駆者たちに会いに行き、読者とともに学んでいくというスタイルを持つ雑誌だ。
ところが。。。
2004年の今なら、相当の話題にもなり、売り上げがあがった“ECOLOGY ISSUE”だろうが、1999年の日本にあっては、他の号にくらべると若干の苦戦が強いられた。ここでもまた“エコロジーは売れない”という常識をうち破ることができなかったわけだ。ただ後々、この『H』に励まされたという人たちがエコロジーオンラインの仲間になってくれた。そういう意味では次につながるものとなったのは間違いない。
その後、『H』で“ECOLOGY ISSUE”のようなエコロジー特集が実現することはなかったが、連載については永く書かせてもらってきた。その結果、2ヶ月に一度のペースで書いた原稿がたまってくる。そこでその連載をインターネットで紹介しようと考えた。それがエコロジーオンラインの原点である「普通の人のエコロジー」というプロジェクトのきっかけとなる。

普通の人のエコロジー入門
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上岡 裕 (カミオカ ユタカ)
1983年4月、国際基督教大学卒業後、(株)ソニーミュージック・エンターテインメント(SME)入社。在職中は大江千里、エレファントカシマシなどの宣伝を担当。91年4月、SME退社後、フリーライターに。1991〜1992年にかけ、アメリカ西海岸バークレー市に滞在。インターネットに出会う。1999年5月、インターネットメールマガジン「普通の人のエコロジー」創刊。2000年3月、エコロジーオンラインを創立。
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