| EOLフライブルクレポート
緑の街と緑の人びと
第十四回
前回からこのコラムでは、日本のゴミ行政、とくに包装容器の分別とリサイクルについて取り上げています。今回はドイツとの比較です(前回のコラムをまだ御覧になっていない方は、是非最初にそれをお読み下さい)。私はよく日本の分別やリサイクルのことを『穴の開いたボートに入ってくる水を、穴を塞がないまま一生懸命くみ出している行為』と比喩しています。それは、現在の日本のリサイクルや分別のシステムでは、ゴミそのものの排出量、つまり近い将来すぐにゴミとなってしまうものの生産量の抑制が行われていないからです。どんなに一生懸命、分別やリサイクルしたからって、ゴミそのものを作らないことに勝るわけがありません。前回お伝えしたように実は分別やリサイクルって環境にそれほど優しいわけではないのです。

市民の皆さんがこれほどの労力をかけ、自治体が大金(税金)をはたいても環境にそれほど優しくない日本のゴミシステム、こうなってしまった一番の責任は『容器包装リサイクル法』にありそうです。なぜならこの日本版の容器リサイクル法(以下、容リ法)には『拡大生産者責任』注1という重要な思想が欠けているからです。ほとんどのヨーロッパ諸国(+トルコや一部のアジアの国々)の容リ法は、ドイツが1991年に制定した容リ法を手本として整備されました。その場合の「手本」というのは細かな規制項目や法律の文面などではなく、一番重要なポイント、『拡大生産者責任』という考え方です。当然、日本も容リ法を作成するときには当時の厚生省生活衛生局水道環境部が担当していて、ドイツの成功事例を知っていたのですが、大事な拡大生産者責任という部分が「ある事情から」骨抜きにされてしまっています。つまり当時の通○省、自○党が率先して行った企業の原理という事情です。
考えても見てください。もし包装容器の回収、分別、リサイクルのすべてがその商品を生産、販売する企業の責任になるとしたら、どれほど企業側の負担が膨大になることか! つまりドイツは、それが大きな負担になるからこそ「包装容器そのものの生産量が減る→ゴミの排出量そのものが減る→環境に優しい」ことを信じて、企業側に妥協しないで、この法律を制定したのです。つまり『困難でも穴の開いたボートの穴を全力を挙げて塞ぐ』という比喩がこの場合当てはまります。

穴を塞いだのは彼が率いた環境省。1991年当時のドイツ連邦環境相、現在は国連の環境計画の局長を務めるクラウス・テプファー氏。
しかし日本の容リ法は中途半端な取り決めでお茶を濁しました。包装容器の分別を市民の負担とし、分別などに関する啓蒙活動や市民の分別した資源ゴミの回収と運搬を自治体の責任(=税金)、最後のリサイクルのみが生産者側の負担という3者痛み分けの責任原理です。でもこれは公平な痛み分けではありませんでした。では、この3者痛み分けの一番の負担を強いられているのは誰なのでしょうか?
次回は、そのようにして制定されたドイツと日本のそれぞれの容器リサイクル法が、実際にはどのように違う結果をもたらしたのかを見てみましょう

注1:この場合の拡大生産者責任とは、包装容器の処理を消費者や国、自治体などではなく、ゴミを生産する人(袋やカバー、ビンやボトルなどの包装容器を生産、販売する企業)が、生産した分を自分で回収、分別、リサイクルまで行う責任のことを指します。
<<フライブルクレポート一覧に戻る
村上 敦
(ムラカミ アツシ)
1971年生まれ。岐阜高専土木工学課を卒業後、ゼネコンに入社。東京湾埋立工事 などにおいての環境破壊の惨状に疑問を感じ、ドイツ・フライブルクへ留学。フライブルク大学独文科に在籍しつつ、ドイツの環境政治・行政を学ぶ。途中ドイツ人女性と結婚し、休学。その後、フライブルク地方市役所・建設局に勤務し、
現在は日本の環境機器メーカーのアドバイザー、兼主夫。HP(www.geocities.jp/freiburg2004report/)でフライブルクの行政についての分析を行う。」 |
|