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環境ジャーナリストの村上 敦さんにお話を伺いました。
取材・文:加藤 聡
撮影:黒須 一彦
村上 敦(むらかみあつし)さん
ドイツ在住の日本人環境ジャーナリスト。環境コンサルタント。理系出身。日本でゼネコン勤務を経て、環境問題を意識し、ドイツ・フライブルクへ留学。フライブルク地方市役所・建設局に勤務の後、フリーライターとしてドイツの環境施策を日本に紹介。南ドイツの自治体や環境関連の専門家、研究所、NPOなどとのネットワークも厚い。2002年からは、記事やコラム、本の執筆、環境視察のコーディネート、環境関連の調査・報告書の作成、通訳・翻訳、講演活動を続ける。著書に、『日本版、グリーン・ニューディール政策への提言』(EOLWAYS)、『フライブルクのまちづくり ソーシャル・エコロジー住宅地ヴォーバン』(学芸出版社)など。
「フクシマ」がドイツに与えた衝撃
3月11日に東北地方を中心に発生した東日本大震災は、日本のみならず世界に大きな衝撃を与えた。なかでも福島第一原子力発電所の事故は、多くの国のエネルギー政策に影響を及ぼしている。ドイツではこの事故を受けて、17基中7基の原発が緊急停止した。しかしこの即断について、ドイツ在住の環境ジャーナリスト・村上敦さんは「安全対策というよりも、選挙を見据えての対応だった」と厳しい見方だ。
「今回の原発事故が起きる前から、ドイツ国内の世論の約7割が原発に反対でした。同じ反対派でも、できるかぎり早い廃止を求めるグループと2020~30年といった範囲で順次廃止してほしいというグループが半々くらい。新設は認めないもののより長く使うことに肯定なのが1割、優れた技術なのでという新設も認める推進派が1割くらい、残りの1割はわからないという方々です。それくらいの力関係です。ですからドイツで、政治的に原子力を推進するというのは、すごくリスクが高いんですよ」
ところが昨年の秋、メルケル首相率いる保守政党のキリスト教民主同盟(CDU)は、前政権が2021年前後での全廃を決めていた脱原発政策を方向転換し、平均12年の期間延長を決定。昨年末にはこの政策に反対する30万人規模(!)のデモが行なわれたが、そんな矢先に「3.11」は起きてしまった。
「今年は16の州のうち7つの州で、州議会議員の選挙があります。ドイツは連邦制です。上院は州議会議員の議席配分で決まるため、保守政党にとって今年は、非常に重要な年であったわけです。ところが福島の原発事故が起きて以来、もともと7%~12%くらいしかなかった緑の党の支持率は一気に25%まで伸びました。一方、保守政党が35%くらい持っていた支持率は28%まで低下。ほとんど緑の党と保守政党が横並びという状況になったのです。その結果、3月27日に行われた南ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州議会選挙では、原発維持の保守が大きく得票を下げ、歴史上初めて、緑の党の州知事が誕生することとなったのです」
CDUの議員からは「今回の選挙はフクシマで決まった」という声も挙がったという。日本の原発問題が、ドイツの政治をも動かしてしまったのだ。
「昨秋の稼動期間延長によって現政権への不満が高まっていたこともあり、メルケル首相は福島原発の事故後、世界のどこよりも早く、1980年以前に建てられた7基の原発の一次停止を決めました。ところが3ヵ月間の停止という中途半端な対応が、国民には選挙対策のパフォーマンスであると受け止められ、結果的に州議会選挙での敗北を呼び込んでしまいました」
日本では、ドイツ政府のこの素早い措置に賞賛の声も挙がっていたが、実情は全く異なっていたようだ。それにしてもドイツ国民の原発アレルギーは、日本のそれと比べても一段と激しい。その理由は、1968年の学生運動に起因しているという。
「ドイツの高度成長期は日本よりも10年早く、1960年代ですべて完結しています。そんななか、成長や物質的豊さの追求という価値観から、もう一つのオルタナティブな価値への願望が大きくなっていったんですね。学生による議会外反対派運動が盛んになり、反戦、反核、人権問題、女性の権利などが叫ばれてゆきます。その後、環境保護、反原発の運動と結びついて、1980年に『緑の党』が誕生。1986年のチェルノブイリ原発事故が起きると、保守的な大きなシステムに乗って作られてきた原発に対して批判を続ける緑の党の主張は、ドイツの社会と政治に浸透してゆきました」
そして1998年9月、社会民主党と緑の党との連立政権が誕生。政権与党を離れるまでの7年間、環境政策を推し進めてきた。
「その時の閣僚というのが、1968年の学生運動の中心人物だったのです。68年世代と呼ばれる人たちが、ドイツの政治を担った。その結果が、脱原発政策であり、環境先進国ドイツなのです。その辺の前提が日本などとは大分違うというわけです」
雇用対策、電力不足対策として有効な太陽光発電
1998年、緑の党が社会民主党の連立パートナーとしてシュレーダー政権に加わると、ドイツ政府は、再生可能エネルギー拡大の政策を進めていく。2000年に施行した「再生可能エネルギー促進法」では、電力供給事業者に対して再生可能エネルギーの固定価格での買い取りを義務づけたことで、風力や太陽光発電の導入は一気に加速した。こうした政策の背景にあるのは、地球温暖化対策はもちろんのこと、石油や天然ガスの海外依存度を減らしたいというエネルギー安全保障上の意味も大きい。日本ではどうだろう。
「日本のエネルギー自給率はわずか4%。毎年約20兆円を支払って中東諸国などから化石燃料を買っています。そのお金を生み出すために、テレビを作って、車を作って、外貨を稼いでいるわけです。こうした経済モデルは、稼ぐこと、成長することを、永遠に続けていかなければ成り立ちません。それに対して、再生可能エネルギーが優れているのは、燃やせばなくなってしまうエネルギー資源自体にお金を支払うのではなく、地球上に薄く散らばっている自然エネルギーを、電力に変えてくれる機械に投資するという点です。ドイツでは太陽光発電によって生まれる雇用の約6割が、街の電気屋さん、工務店、配送業者など、パネルが設置される地域に発生しました。さらに再生可能エネルギー産業全体で見れば、2010年末時点での雇用数は37万人。一方でドイツの自動車産業の従事者は約70万人ですが年々減少傾向にあります。再生可能エネルギーはもはやドイツの一大産業となっています」
地域に雇用を生み出す再生可能エネルギー産業は、今回の震災の復興対策としても有望かもしれない。奇しくも3月11日の午前中、再生可能エネルギーの全量買取制度が閣議決定された。2012年度中の施行を目指すというが、復興対策として考えるのであればもっとスピード感がほしい。再生可能エネルギー設備の新設には、地元住民との話し合いや環境アセスメントなどに時間がかかるからだ。
「一番手っ取り早いのは、設置が簡単な太陽光発電を増やすことでしょう。一つのアイデアとしては、東北地方での太陽光発電に限定した全量買取制度を議員立法で前倒しして施行する。ファンドという形で都市から集めたお金で、被災を免れた役所や病院といった建物の屋根に、ソーラーパネルを設置することができれば、東北地方の新たな復興モデル、雇用モデルになるのではないかと考えます」
さらには夏の電力不足解消にも、太陽光発電は大きな効果を発揮する。
「ソーラーの良いところは、電力ピーク時である日中にたくさん発電してくれるんです。今年の夏、東京電力管内でピーク時に足りないといわれている電力は800万~1200万kWです。一方、ドイツ国内で2010年に設置されたソーラーパネルの量は740万kW。もしも日本が昨年、同量のソーラーパネルを設置していたら、日中のピーク部分はほとんど気にする必要がなかったんじゃないでしょうか」
この夏の電力不足に、企業の間には大きな不安が広がっている。当然、これまで必要以上に浪費していた電力は減らしていくべきだろうが、産業の停滞によって復興が遅れることだけは避けたいところだ。しかし、その電力不足がわずか1年で解消できる方法がわかっているのなら、あとは国の英断だけ。少しだけ明るい兆しを感じる。
「ただし、現在の日本の太陽光発電の価格はすごく高いです。ドイツの価格は、設置費込みで1kWあたり27万~35万円くらいの間ですが、日本では55万~65万円とドイツの約2倍。明らかに価格のガラパゴス化が起きています。価格を下げるためにまずやるべきことは、やはり大量に設置して普及させることなんです。そのためにはこれまでのように、3kWや4 kWといった小さいものを戸建ての屋根にちょこちょこ付けていってはダメで、30 kW~50 kWの中型・大型のものを工場や商業施設の屋根にどんどん付けていく。価格が安くなれば太陽光発電は、今の携帯電話のように、誰もが手の届くものとなるはずです」
再生可能エネルギー100%社会の実現には電力使用を減らすことが大前提
「勘違いしてほしくないのは、再生可能エネルギーは万能ではないということ。私たちがこれまでどおり、電気を大量に使う暮らしをしていたら、再生可能エネルギー100%の世の中に変えていくことなど無理でしょう」
再生可能エネルギーは、存在する量こそ莫大だが、化石燃料やウランなどに比べ、エネルギー密度が薄い。洋上に風力発電を作ろうが、ソーラーパネルをどれだけ設置しようが、今の人間の欲望を満たすエネルギー量にはならないのというのだ。
「ではどうすればいいのか。それはエネルギー消費の分母の部分を減らしていきながら、再生可能エネルギーの社会に移行してゆくことだと思います。例えばドイツでは、いくつもの機関が、2050年までに100%再生可能エネルギーによるエネルギー供給は可能であるとの研究報告を出していますが、そのほとんどが一次エネルギー消費量を半分にすることを前提としています。それを実現してはじめて、なんとか自然エネルギーだけでも賄っていけるだろうという計算であって、原発がダメだから、太陽光や風力にシフトすればいいとか、そんな単純な話ではないんです」
ところが、日本はいつのまにかエネルギーを大量に消費する社会になってしまった。近年増えているオール電化の住宅は、省エネどころか、電気に頼らなくては快適に暮らせない家だということが、計画停電の実施でわかった人も多いはずだ。
「計画停電が計画どおり実施されたのは、3月の気温の低い日でした。つまり日本の電力需要は、気温と相関しているのです。暖房も冷房も電気に頼る社会が推進されてきた結果、日本の住宅の躯体性能は極めてレベルの低いものとなっています」
ドイツでは、電力の消費量を押さえるのは難しいという考えから、建物の躯体性能の向上を省エネの第一義にしている。
「家庭のエネルギー消費のほとんどを占めるのが、暖房、冷房、給湯といった熱です。だからまず重要なのが断熱。ドイツでは日射遮蔽と高断熱・高気密が義務であり、古い建物の断熱リフォームは大きな産業にもなっています。また、不動産の売買や賃貸時には必ず住宅の燃費性能を明確化した『エネルギーパス』の提示が必須になりました。この政策は、市場から燃費性能の悪い家を減らしてゆくには効果的です」
2009年に施行された「再生可能エネルギー熱法」においては、ドイツの新築建物で使用する熱量の約20%は再生可能なエネルギー源でないといけないと規定されている。ソーラー温水器、木質ペレット、地熱ヒートポンプなどを使用しないと新築の許可が下りないという徹底ぶりだ。しかしこれくらい、いやこれ以上やらねば、再生可能エネルギー100%社会という野心的シナリオを実現することは難しいということだろう。
復興の主役はその地に暮らす人々
今年2月、国土交通省は「国土の長期展望」を発表した。これによると2050年時点の東北地方の人口は、現在(2005年)の1207万人から727万人にまで減ると予測されている。さらに驚くべきは、現在の居住地域のうち18.8%が無人になる可能性があるという。
「現在、被災地の復興計画について、さまざまな案が検討されていると思いますが、被災地を元あった姿に戻そうという議論には疑問を感じます。このレポートからも、いずれ消えてしまう町が現れることは明らかです。こうした前提に立って、自分たちの町をどうしたいんだということを議論しないと、本当の復興などできない。誰もいなくなるかもしれない場所に、震災前と同じように家を建てて、橋を架けて、役所を新しくしたところで、はたしてそこに住む人は幸せでしょうか? 絶対に幸せであるはずがないんです」
東北地方では過疎化に伴い、すでに医療や介護などの行政サービスの水準が下がってきているという。もはや、以前と同じ行政サービスを、人口密度の薄くなっている地域に平等に分配できるような国の状況ではなくなっているということだろう。こうした状況に村上さんは、適度に人口密度を高めた住まい方「コンパクトシティ」を提案する。
「戦後、核家族化や政府の住宅政策によって、日本人の多くが家を所有するようになりました。ところが現在では、空家率が40%を超えるような地域も出てきています。こうした時代に、全ての人が持ち家を持つ必要はないでしょう。良質な賃貸住宅があればそれでいいと言う人もいるだろうし、入居者を集めてコーポラティブハウスを建てるという選択もあるかもしれない。被災するまでは当たり前に戸建てがあった。それが一回リセットされたわけだから、いま一度考え直してみることが必要だし、インフラと人口密度を集約させた街づくりができれば、前よりも住みやすく、前よりも幸せな暮らし方は十分可能だと思います」
もちろん、農業や林業、漁業など、これからも第一次産業でがんばっていきたいという人については、集合住宅に住む必要はなく、昔ながらの農村の暮らし方を続ければいいと村上さんは語る。そういった暮らし方も受け入れながら、第二次・第三次産業に従事する大多数の人々は、集約して住もうというのがコンパクトシティの考え方だ。
「でもそれって外から、上から、こうやりなさいという話じゃない。地域によって暮らす人たちの生業は違うし、背景も違う。トップダウンでやってきた原発が事故を起こした今だからこそ、そこに生きる人たちがどんな暮らし方をしたいのか。最後はどんな死に方をしたいかを考える必要がある。そういった議論を抜きに、有名な建築家がきれいなグランドデザインを描いて復興計画を作るのは懸命ではありません。今やるべきは、幸せに暮らせる方法を住民たち自身が議論できるテーブルを用意することでしょう。それぞれの人の声をまとめていき、コミュニティーのなかで合意やコンセプトを作ることでしか、幸せな形での復興はないと思います」
ドイツ・フライブルク市のヴォーバン住宅地は、持続可能な街づくりに向けて、住民たち自身の「こんな街に暮らしたい」というアイデアが形になり完成した。今回の震災を日本のリセットと位置づけるには、あまりにも多くの犠牲が払われてしまったが、これまで行政主導・政治主導で行われてきたエネルギー政策や都市計画を、市民の手に取り戻すことのできる最後のチャンスかもしれない。
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