環境自治体ロラン市市議が提案する被災地のグリーン復興の方向性

©Annette Greenfort
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ロラン市の環境プロジェクトのキーパーソン、ロラン市議会議員のレオ・クリステンセンさんにお話を伺いました。

 

 

デンマークの小都市のロラン島は、過疎化、失業率の悪化から、環境への取り組みをきっかけに立ち直り、環境自治体として国内のみならず世界をリードするまでになりました。そのプロジェクトを牽引したのが今回の主役のレオ・クリステンセンさん。彼が提案する被災地の未来とは?

 

取材・文 ニールセン北村朋子

ロラン島から世界へ、そして再びロラン島へ

ロラン島北西部にある ノイソムヘドス・オデ。現在は風力発電パーク ©aTree
ロラン島北西部にある ノイソムヘドス・オデ。現在は風力発電パーク ©aTree

—レオさんの、簡単な略歴を教えて頂けますか?

 

レオ 3歳から、父親の出身地であるロラン島で育ちました。その後、フォルケスコーレ(日本の小中学校を統合した、デンマークの一般的な義務教育課程)を卒業し、ロラン島最大の町、ナクスコウの造船所でエンジニアとしての教育を受けました。1975年に、カリフォルニアの当時のスタンダードオイル(現在のシェブロン)で、タンカー内の電気技師として働き始めました。その仕事で、76年には日本の因島にも行ったことがあるんですよ。あれが、私と日本との初めての出会い(笑)。船は夜中に着いて、それから眠りについたのですが、朝6時半に大きな音楽で目が覚めました。何事かと思って表に出ると、5千人くらいの日本人が、音楽に合わせて朝の体操をやっていたんです!これにはびっくりしました(笑)。しかし、その後もっと驚いたのが、日本の人たちの、勤勉で効率的な仕事ぶりでした。世界各地をまわりましたが、後にも先にも、あれほど素晴らしい働きぶりを見たのは日本でのみ。それに同僚や周りの人への気遣いも細やかで、心から尊敬しましたし、自分の考え方や生き方にも少なからず影響を与えた、本当に素晴らしい体験でした。他の国では、そうしたことが忘れ去られているところもあるように思いますが、今回の震災後も、日本ではまだそうした文化が息づいているということが証明されていましたよね。それから、76年以降も何度か仕事で日本へ行きましたが、食事はいつ、何を食べても本当においしかったですね。

 

—ちょうどその当時、デンマークでは反原発運動が高まり始めました。


レオ そう。70年代前半に、最初の原発建設予定地として名前が挙がったのが、ノイソムヘドス・オデというロラン島の北西部の海沿いの場所だったんです。もちろん、ロラン島やデンマークに原発が欲しいと思っている人などいなかった。今、あの地は風力発電パークとなって、たくさんの風車がまわっているでしょう?原発の景色より、ずっといいよね。

 

—ちょっと脱線しましたが、その後、どういう経緯でロラン島に戻ってきたのですか?

 

レオ その後、さらに主任電気技術者になるための教育などを受けた後、いくつかの国際企業で技術部長などを務めました。さらに、1990年からはヘッドハンティングされてA.P.ムラー(デンマーク最大の企業であり、世界最大規模の海運コングロマリット)に勤務し、同社のジョイントベンチャーで300人の部下を持つ技術開発部長の職に就いていました。その経験を買われて、1998年11月に、まだ自治体再編前のロラン島のナクスコウ市で、公共事業担当部長として採用されました。当時は市の政権が変わったばかりの大きな転換期で、職について1か月目で手がけたのが、閉鎖した造船所跡地に、ヴェスタスという風力発電機のブレード(羽根)工場を誘致することでした。その時には事業開発部長も兼任したいたのですが、これが短期間で成功し、基幹産業を失って経済的にも社会的にも大打撃を受けたロラン島の復興のきっかけとなったのです。

 

—当時、住民税を引き上げたと聞きましたが、住民の反対はありませんでしたか?


レオ その通り。引き上げ率は0.5%未満だったように記憶していますが、住民は皆、賛成してくれましたよ。なぜなら、住民税の値上げは、すでにヴェスタス社の誘致に成功し、造船所跡地整備と新工場建設に使われるとわかっていたからです。その工場ができれば、多くの失業している市民が、また職につくことができる。市民にとっても、目的が見えるから、協力もしやすかったはずです。

 

—ロラン島は、どのようにして環境エネルギー政策重視へ舵を切ったのですか?


レオ まず、デンマーク政府が、1985年に原発を使わないと正式に決めたことが大きいですね。それで、NGOや民間主導で再生可能エネルギーに注目が集まっていったわけですが、もともと、ロラン島は全国の風力マップで見ても、一年中風力発電に適した、安定した風が吹くということがわかっていて、80年代から次々に風車が建つようになったんです。1991年には、世界で初めての海上風力発電パークが、ロラン島北西沖のヴィネビュに建設されました。造船業という、島を支えてきた基幹産業を失った時、時代の潮流はどちらへ向いているのかを考えた時、EUの指針もとても参考になりました。その時、一番注目を集めていたのがIT産業で、どこの自治体も、関連企業の誘致に躍起になっていました。二番目に注目されていたのは環境エネルギー事業で、今後EUが拡大するにあたり、ますます重要になるとされていました。だから、私は当時の市長や助役と相談し、ナクスコウ市(後のロラン市)は環境エネルギー事業に力を入れることを基本政策とすることを提案したんです。もともと、長年の失業率の悪化で市の財政は困窮していましたから、様々な方面で節約の必要性があった。そこからも、いかにムダを省き、エネルギーを有効に使うか、という考え方が自然にできるようになっていたのだと思います。その第一歩が、私が手がけた、公共事業を一括管理してムダを省き、効率化する、ということだったのです。

 

新しい産業をはじめよう!

佐野利男在デンマーク日本大使とクリステンセン氏 ©Annette Greenfort
佐野利男在デンマーク日本大使とクリステンセン氏 ©Annette Greenfort

—そうしたロラン島の歴史を背景に、6月1日、ロラン市と、ロラン島、ファルスタ島にまたがるビジネス協議会であるBusiness Lolland-Falster主催で、佐野利男在デンマーク日本大使をお迎えして、日本の被災地復興とロラン市、デンマーク、日本との相互協力を考えるワークショップを開催しました。その成果をどうご覧になっていますか?

 

レオ とてもいい話し合いができたと思います。日本の状況やエネルギー政策に関する、今後の予想される展望がより把握できたし、ロラン市のプロジェクトモデルや、そのプロジェクトモデルを活用してロラン島で実証実験を行なっているクリーンテック企業についてもいくつかご紹介することができました。

 

—重工業の衰退で経済的、地域の存在意義的な面で受けた大打撃から復興を成し遂げたロラン市から見て、被災地復興のカギになるものは何だと思いますか?

 

レオ 日本の被災地は、これまでその土地に合った産業や農業、漁業をやってきていると思います。長い歴史を経て、そこに資源となるものがあるからこそ、そうした生業がその土地に根付いてきたのでしょうから、できる限り復活させることができれば、それに越したことはないでしょう。

その一方で、市や県、そして国としての行政も立て直さなければなりません。

今回の震災で、被災地で生み出されていた製品や原材料が、日本や世界の大企業の生産活動を支えていたことが改めて実証されましたね。被災地では、その生産拠点を失ったところも多くないと聞いていますし、今後数年は、そうした原材料や原料加工の分野が不足することになるでしょう。

そこで、被災地の自治体、地域、そして国に目を向けてほしいのが、『再循環産業』です。なぜなら、今後は、日本だけでなく、世界中で『再循環産業』が非常に重要になってくるからです。これから必要とされる産業に、今、いくつかの被災した自治体に取り組みを勧めるのには、3つの理由があります。1つは、今回失ってしまった産業をもう一度立て直すのは、他者との競争の上で大きなハンディを負う可能性が高いということ。2つ目は、これから必要とされる産業を新たに起こすことは、つまり先駆者になれるということ。大きな競争をせずに、利益をあげられる可能性が高い。そして3つ目は、『再循環産業』は大きな労働市場を生み出し、しかもR&Dの分野も含む、多角的な要素を持った、実に興味深い産業だからです。例えば、ここへロランCTF(ロラン・コミュニティ・テスト・ファシリティーズ…ロラン市の産業政策のひとつで、再生可能エネルギー実証実験のための国際的なプラットフォーム)の考え方の基盤となっている、産学官連携モデルである『Triple Helix(トリプル・ヘリックス=三重らせん)』を使えば、研究者、企業、地域社会の3つが密接に関わり合いながら、新しい産業の成長を促すことができるのです。

 

日本人は、とても規律正しく、ゴミの分別なども細かく丁寧に行なっています。多くの人が、捨てられる携帯電話やテレビ、パソコンに、リサイクルできる貴重な資源が眠っていることを知っているでしょう?だから、単純にゴミとして捨てることなく、決まった場所に廃棄している。そういう日本人の良さ、武器を存分に活かせるのが、この『再循環産業』だと思うんです。さらに、この産業を基盤に、その地域で使うエネルギーも再生可能エネルギーでまかなうようにし、スマートグリッドの構築を目指す。そうなれば、これほど強い地域社会はありませんよ。だって、海外から資源やエネルギーを依存する必要がないんですから!グリーンで自立した地域社会の確立は、夢ではない。これを、ぜひ日本の被災した自治体から取り組んでみてほしい。そうすれば、世界でも、これに追随する地域社会がたくさん生まれることになると思いますよ。日本は、デンマークと同じように消費国家を歩んできましたが、リサイクル、再資源化については、まだまだ「のびしろ」のある国ではないでしょうか。少ない資源を、余すところなく使って国内で回せるようになれば、国家経済的にもより安定するでしょう。ロラン市でやっているリサイクルセンターも、年々これに関わる労働人口が増え、3年目くらいからは大きな利益をあげられるようになったんですよ。

 

地域復興は、まず産業エリアの構築から

©Annette Greenfort
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—今回の震災で、多くの自治体が言葉通り「一から」の復興を成し遂げなければなりません。自治体は、具体的にはどこから復興に取りかかればいいとお考えですか?

 

レオ 日本大使館とのワークショップでもお話ししましたが、まずは工場など、産業エリアを構築することを強く勧めます。そのためには、地域の条件や文化に合った企業や工場を、まず、いち早く誘致することです。そうすれば、上下水道、電気など、公共事業の大きな部分のインフラをまず整えることになる。つまり、その後、まわりに町を作った時には、産業用インフラにつなげる作業だけで済むので、逆のやり方より、ずっと合理的で簡単なのです。産業の基盤が整えば、地域の経済も早く回り始めますし、それが、持続可能な地域づくりの第一歩になるはずです。復興は、地域住民が心から望む町づくりが基本ですから、誘致する企業や産業も、住民の意向や地域の文化に合ったものを優先します。そうすれば、町の整備も早く進むし、そのために必要な施策や金銭的サポートも、ナクスコウの例のように、市民の理解や協力を得やすくなります。

 

それから、福島県は、福島第一原子力発電所の事故で、大変な犠牲を強いられることになりました。地域の方々の事を考えると、心がひどく痛みますが、世界的な視点で見ると、たくさんの教訓を得ているのが今回の震災であり、事故です。犠牲者の方々や、今、苦労して事故に対処しておられる方々の労力を無駄にしないためにも、日本には、ぜひ原子力に関する国際専門機関をフクシマに作ってほしいと願っています。自治体と政府、それに国連の国際原子力機関が一緒になって、今回の事故のデータを集積、解析し、公表する場がフクシマには必要なのです。今回の事故で、世界中どこを探しても、この問題を解決できる人、機関はないということがわかってしまった。いずれ原発を世界から無くしていくとしても、その処理が最終的に終わるまでには気の遠くなるほどの年数がかかります。だからこそ、すべての情報を事細かに集めて、解析を続け、全世界に、そして後世に伝えていく必要があるのです。今後、世界で原発に関わる人は、皆フクシマを訪ねて、原発を扱うことの脅威を知り、気持ちを新たにすべきだと思います。

しかし、それと同時に忘れてはならないのは、化石燃料に頼らない社会を実現するためには、再生可能エネルギーについて議論するだけでは不十分だということです。なぜなら、例えば石油はエネルギーを作ることだけに使われているわけではなく、そこから生み出される石油化学製品に、今の私たちは大きく依存しているからです。代替エネルギーだけでなく、今、私たちが使っている製品の、代替原料を探ることも必要。世界はバランスを保ちながら存在しているので、世界中の人が、俯瞰で、ホリスティックな視点で考えることが求められています。

 

—ロラン市が被災自治体の復興に協力できる部分としては、具体的にどんな分野でしょうか?


レオ 再資源化、リサイクル、スマートグリッド、地域でのグリーン・エネルギー生産の分野などですね。今回の被災地は、ほとんどが海に面した地域ですから、特にバイオマスの分野、もっと細かく言えば、ブルーバイオマス(水域環境由来のバイオマス。海藻や藻など)の分野については、大きな可能性を秘めていると思いますし、協力し合える部分も大きいと思います。

ワークショップでも話しましたが、公共事業エリアは、将来の科学分野の発展を見越して、研究開発も同時に進められるように、できるだけフレキシブルに作っておくことが望ましいのです。例えば、ブルーバイオマスは、良質なプロテインを含んでいるものも多く、将来的には食料としてより多く利用できると考えられます。また、ハイバリュー・コンポーネントも含み、医薬品や化粧品など、付加価値を生む産業につながります。その残りは家畜のえさになったり、肥料になったりして、最終的にはエネルギーを作り出すための燃料にすることもできると考えられます。

さらにロラン市では、将来的に下水処理場が自治体の持つ、最も規模の大きいバイオ燃料工場になると考えています。そこで、今も、藻を下水処理場で培養し、その力で水を浄化し、育った藻からバイオガスを取り出して燃料にする、という研究を進めています。ここでおもしろいのは、ロラン市では下水処理場のすぐ隣に地域暖房施設があり、ここの煙突から排出されるCO2を集めて、藻のえさとして利用しようという取り組みも始めているんです。そうなれば、CO2も燃料生産に欠かせない貴重な資源のひとつとなります。これは、国内外の大学の専門家と共同で研究を進めていますので、こうした知識やノウハウを、ロラン市から日本の被災地へ提供、協力できると確信しています。

 

日本から、ロラン島がぜひ学びたいこと

—ロラン市が、逆に日本から学びたいこともあるとおっしゃっていましたね?


レオ ずはり、水管理です。何しろ日本は、この分野では何千年という長い歴史を持っていますからね。それに、日本の人たちは、まるで海が庭であるかのように、密接に関わってきました。それに比べたら、デンマークは、海の利用を始めたのは「つい最近」のことですから。それに、平らなデンマークの中でも、最も平べったいロラン島は、近年、海面上昇の対策も迫られています。農業用水や堤防、魚の養殖など、学びたいことは山ほどあるのです。

 

ロラン市から日本の被災地へ協力するだけでなく、日本の被災地からも、ロラン市のためになる、知恵を授けてほしい。自治体レベル、企業レベル、大学・研究者レベルでコミュニケートしていければいいと思います。ロラン市は、デンマークの大学に、ロラン市の得意とするところを話し、日本の被災地の自治体は、日本の大学に、得意とするところを話す。大学や専門家というのは、物事を明確に体系化する能力にものすごく長けていますから、そこで擦り合わせをすることで、日本とデンマークの長所、短所を上手く補いながら成長していくことができると考えています。まず、ロラン市と日本の被災地のどこかの自治体で恊働を始めれば、国も支援にまわるでしょうし、デンマークの他の自治体や北欧の国々の自治体と、日本の他の自治体との恊働も後に続くと思いますよ。興味のある自治体がありましたら、ぜひ、一緒にやりましょう!

 

最近、私はロラン島の人たちと日本人はとても似ているなぁと感じているんです。どちらも、とても打たれ強くて順応性に優れている。だからこそ、ロラン島も数ある苦難を乗り越えてこられたし、日本もきっとこの災難を乗り越えて、よりよい選択ができると信じています。いつかみなさんにお目にかかる日を、心から楽しみにしています。

 

 

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コメント: 3
  • #1

    松本英一 (木曜日, 10 11月 2011 20:39)

    素晴らしい自然エネルギーの利用に頭が下がります。

  • #2

    togasi (月曜日, 09 1月 2012 06:25)

    ロラン市では風力発電時に発生するプロペラの風切り音の振動により体調不良が発生していませんか?

  • #3

    ニールセン北村朋子 (水曜日, 11 1月 2012 19:19)

    togasiさん、お問い合わせありがとうございます。
    ロラン市を含め、デンマークでは各自治体で風力発電機を建てることができるエリアが決まっています。また、風力発電機は、一番近い住宅から、風力発電機のブレードの先までの高さの最低4倍の距離が保たれなければならないという決まりがあります。
    現在のところ、プロペラの風切り音の振動による体調不良などの問題はないようですが、今後、高さ150mクラスの大型風力発電機が建設される予定があり、こうした巨大風車による人体などへの影響については、様々な調査が行なわれています。

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