エコロジーオンライン設立経緯

Since 2000
Since 2000

エコロジーオンラインを設立して22年の歳月が流れました。一緒に歩んでくれる仲間も当時を知らない人も増え、法人設立の経緯、エコロジーオンラインの前史についてご説明をしておこうと思います。

音楽業界から環境の世界へ

エコロジーオンラインの物語は、理事長の上岡裕が(株)ソニー・ミュージックエンタテインメントに在籍していた89年から始まります。当時、国内アーティストの宣伝部門で、大江千里さん、松岡英明さん、エレファントカシマシなどの担当をしていた上岡に新しい仕事が舞い込みます。香港とタイで日本のアーティストを紹介するショーケースをする仕事です。

そこで出会ったのがタイの首都バンコクの環境破壊です。都市はクルマで埋め尽くされ、交通渋滞、大気汚染がひどく、都市が森林をのみ込んでいく現実でした。自然豊かな国と思っていた途上国が大規模な開発の波に洗われ、痛々しい姿をさらしている。

バンコクの街をあるいていると日本にあこがれる学生から日本語で話しかけられます。家電店の店先にはさくらといった日本名を冠したテレビが並んでいます。彼らにとって日本はアジアの優等生、発展の象徴でした。ただ、当時の日本はバブル真っただ中です。大量消費・大量生産のエンジンが日夜問わず回り続け、どれだけのゴミが生まれたことでしょう。それなのに東京に暮らす一介のサラリーマンに家やマンションを買えるような余裕がありませんでした。タイの人たちが貴重な自然を手放してまで憧れるのがこんな暮らしなのだろうかと疑問に思う日々が続きました。

湾岸戦争によって人と自然の命が失われる。

1990年8月、中東の湾岸地域のイラクが隣国のクウェートに侵攻したことに端を発し、国際連合による経済制裁ののち、翌年1月には多国籍軍が空爆を開始、地上戦に展開していきました。本格的な戦争になると市民の命や貴重な自然が蹂躙されるという国際社会の声は無視され、戦争が強行されて行きました。

このままで地球は大丈夫なのか......?

ベトナム戦争以降のカウンターカルチャーの名残がある世代で高校の頃からエコロジーの洗礼を受け、大学卒業後は人に夢を与えられる仕事をしようと音楽業界をチョイスしました。そんな自分にとって悠長に構えてはいられないという思いが強まります。そこで音楽の世界を離れて環境の世界に飛び込む決心をしました。

 

1991年4月にソニーミュージックを退職し、アメリカで環境を学ぼうと決意し、西海岸のバークレーに向かいます。当時は31歳でした。それまで一緒に仕事をしていた人たちのご厚意でパソコンをもらったり、インターネットを介して原稿を書く仕事などをご用意いただいたり、その後のエコロジーオンラインの方向性が形づくられていきます。


当時はまだワールド・ワイド・ウェブ(WWW)は活用されておらず、アメリカと日本のパソコン通信をつないで情報交換をするような環境でした。それでも社会課題の解決にインターネットを活用する団体も存在し、そうした団体に参加することで環境活動のきっかけをつかんでいきます。


いずれ日本もインターネットが社会課題解決の中心に!

そんなアメリカでの生活は1年ちょっとで終了し、日本でフリーランスライターとしてインターネットや音楽、エコロジーなどの原稿を書くような暮らしが始まります。書いた原稿などをウェブにアップし始め、メールニュースを書き、仲間を集めて行きます。


当時のウェブサイトの名前は「普通の人のエコロジー」。専門家でも何でもない存在だけど自分のような「普通の人」が変わらないと環境問題の解決は難しい。そう思ったところからこの名前で活動を始め、世界中に仲間ができたところでNPO化を考えるようになり、2000年に特定非営利活動法人エコロジーオンラインとしてスタートしました。


その後の歩みはこちらをご覧ください。

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