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庭園デザイナーの石原和幸さんに
お話を伺いました。
取材・文:温野 まき 撮影:織田 紘
石原和幸 (いしはら かずゆき)さん
1958年、長崎市生まれ。大学卒業後、生け花「池坊」に入門。23歳で花屋の修行を開始。29歳で花の路上販売をしつつフラワーデザインを独学。1993年、株式会社「風花」設立。2000年長崎県西彼杵郡長与町「まなび野」に里山づくりを開始。2004年、英国チェルシーフラワーショー2004に「源」を出展、シルバーギルトメダルを受賞。2006年には同ショーにてゴールドメダルを受賞し、以降、2007年、2008年と、3年連続のゴールドメダル受賞。シンガポール・ガーデン・フェスティバル2008で金賞とBest of Showをダブル受賞。来年も、長崎、新潟、東京などで、緑化プロジェクトが目白押し。
見捨てられていた苔(こけ)を作品に
いま、日本はもとより、世界のガーデニング界のなかで、石原和幸という名を知らない人はいないだろう。まず、1913年から続く最も権威あるガーデニングショー「英国チェルシーフラワーショー」で、今年、3年連続となるゴールドメダルを受賞。さらに、シンガポール・ガーデン・フェスティバル2008年でも、金賞とBest of Showをダブル受賞するという快挙を成し遂げた。
ガーデニングとは縁がないと思っている人でも、こんな庭園デザイナーが日本にいるということに、誇らしい気持ちになってくるのではないだろうか。
石原さんがイングリッシュガーデンの本場の国で受けた評価は「AMAZING!(驚嘆!)」だった。なぜかといえば、それまでイギリス人が邪魔者として捨てていた苔を作品に変えたからだ。
「イギリス人は芝に生えた苔を、お金をかけて捨てきました。ところが私は、いままでゴミと言われていた苔を使って庭をつくった。しかも、日本=石庭といった"わびさび"ではなく、苔を主役にしました。イギリス人がどう思うと自分の庭をつくりたい! そのことに専念したんです」
与えられた展示スペース、5メートル四方のなかに創り出されたのは、苔で覆われたドア、屋根の上に雨水が流れ、屋内には小川があり、蛍も飛び交う...という世界。それは、作品というよりは、ひとつの生態系だった。
「庭を見た瞬間に泣き出す人がいました。ヨーロッパのフラワーデザインは足していくデザイン。それに対して和のデザインは削ぎ落としていく...、つまり、いかに少ない植物で自然を表現できるかです。ヨーロッパのデザインに比べると、一見すごく地味ですが、よく見ると枝先などにパワーがあるんですよ」
地元の植物で、人を呼び込む
ガーデニングというと、あちこちから美しい花々を寄せ集めて植えるというイメージがあるが、石原さんはシンガポールへ行けば熱帯の植物を、イタリアだったらオリーブで...というように、その国々の植物を使うことにこだわる。
「風景をつくっているんです。僕がこの道に入った原点は、華道の池坊ですが、池坊には、風景や季節を切り取って生けるという考え方がある。さらに、植物だけなく、この植物を植えたら、こんな蝶や鳥が飛んで来て...というようにイメージが膨らんでいく」
だから、プロジェクトを行う現地に入ると、石原さんが最初に向かうのは山や川だ。
「自然が何をしたらいいかを教えてくれる。地元の植物を植えたほうが強いし、育ちが早い。緑化も進みます」
もはやガーデニングの域に収まらないその仕事は、町おこしへの取り組みにも発展。2000年には長崎県長与町に、「まなび野の森」を設立した。
「人口4万人の町に、森をつくり、四季の植物を楽しめるカフェやパン屋などの店舗がある。人がいるところに店を出すのではなく、風景をつくり、店を出すことによって人を呼びたいと思った。この森ができてからは、町の人々が競い合って花を植えるようになりました。いまは年間10万人の人が訪れます」
ほかにも、新潟に10キロメートルのあじさいロードをボランティアでつくるなど、全国各地で花と緑のプロジェクトが進んでいる。
「最近、緑の神様が私に乗り移っているんじゃないかと思うことがよくあるんですよ(笑)」
日本から緑を発信したい
「地方の町で花屋さんを見つけると、この町の人たちは優しいんだなと思います。だけど、花屋さんで食べていくのは大変。だからそういう人たちに、庭をつくりなさいと言うんです。花屋さんが庭をつくったほうが愛のある庭ができます」
いまは東京を拠点に仕事をする石原さんだが、地方の町おこしを思うとき、そこにはいつも生まれ育った長崎への思いが重なる。
「私は原爆二世なんです。子どもの頃はみんな貧しかった。でも、その頃の長崎には、6月は蛍が飛び交い、秋は赤とんぼで空が染まるほど豊な自然がありました。それなのに、いまは日本で一、二位を競うほど人口が減少し、高齢化が進んでいる。長崎を花と緑で埋め尽くして、人が増えたらいい、長崎が花の聖地になったらいいなと...」
地方都市の発展や町おこしというと建物や施設をつくることを考えがちだが、石原さんは、違うと言う。
「花と緑が人を呼ぶんです。それがわかれば、日本だけでなく、アジアの各国にも発信できる。さらにアフリカなどにも広がっていく可能性がある」
失われた生態系を復活させるためには、多くの人が関わらなくてはいけない。だからこそ人材の育成は大きな課題だ。
「木を植えることも大事だけれど、人を育てることがもっと大事。あと30年、40年後には、世界中から日本に人が来て、日本を参考に森をつくるようになればいい。マーケットが大きくなれば、働く人たちも増える。だから、緑のプロを育てる学校を全国につくっていきたい。日本を緑化することで、北極や南極の氷が溶けるのを止めることができると私は思っています。地球はつながっているんですから」
町の小さな花屋さんから地球全体の緑化まで、石原さんのプロジェクトは、きっと世代を超えて広がっていくに違いない。なにしろ、"緑の神様"が微笑んでいるのだから。
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