eco people file:058
女優の中嶋朋子さんに
お話を伺いました。
取材・文:温野 まき 撮影:渡邉 茂樹
中嶋朋子 (なかじま ともこ)さん
東京都生まれ。国民的テレビドラマと呼ばれた『北の国から』で22年の長きにわたり螢役を務める。以後、映画、舞台へも活躍の場を広げ、実力派として高い評価を得る。朗読、執筆、講演でも独特の感性を発揮し、根強いファンを持つ一方、近年では、ジャズ、民族音楽、オーケストラとのコラボレートで古典の朗読劇に取り組む。エコロジストとしてのライフスタイルも注目を集め、「100万人のキャンドルナイト・東京八百夜灯」では、毎年、朗読舞台を努めている。
小さい頃の豊かな経験の 延長線上にいまがある
女優としての活動のほかに、エコロジーなイベントにひっぱりだこの中嶋朋子さん。声高に環境問題をうったえるわけもなく、かといってナチュラルなライフスタイルばかりが注目されるわけでもない。いつも等身大でいて、やわらかな空気に包まれている理由が知りたかった。
東京育ちの中嶋さんにとって、『北の国から』の撮影で22年間通い続けた北海道の富良野は、故郷そのものだ。その体験は、当然のことながら大きな礎(いしずえ)になっている。
「30年近く前、8歳くらいでしたが、いきなりおっきい自然に放り出されちゃったんです。自然とのコミュニケーションのなかで、楽しさ、美しさ、怖さ、強さとかをぜんぶいっぺんに経験して、私のなかの根本に、気持ちいいものは、太陽だよね、風だよね、木漏れ日だよねっていうのが入っている。小さい頃に豊かな経験があって、それを求めてきた延長線上にいまがあるんだと思います。都会で暮らしていると、なかなかそうした経験が得られないっていうのが不思議だなぁと。同時に、得るためには、がんばらないといかんなぁという気持ちも生まれました」
東京のような都市は一見すると緑が少ないようでいて、探してみると、意外とがんばっている緑に出会えたりするそうだ。
「公園もそうですが、神社がけっこう緑をまかなっていますよね。昔からあるから、木も大きいし。明治神宮は、隣に代々木公園もあるのでよく行きます。息子は、御苑に行ってザリガニ釣ったりします。去年の夏は、セミをすごくいっぱい捕まえちゃって、家の中で虫かごのフタを開けちゃったら大変な騒ぎになりました。なるべく連れてこないでねって、生まれたところから連れてこられるとセミも辛いよって言うんですけど。でも、追っかけるだけじゃなくて、成果が欲しいんでしょうね。抜け殻もいっぱい拾って、図鑑などで調べて、"クマゼミが北上して東京で見られるようになった"と言ってました」
家族みんなで考えた 「どうして、今日は今日なの?」
お子さんが生まれたのが、ついこの間のような気がするが、もう小学校高学年になるのだとか。
「彼が赤ちゃんとしてやって来てくれたときに、自分が大人としてちゃんとしてもいないから、大丈夫かなって思ったわけです。何を教えたらいいんだろうってすごく考えてしまった。でも子どもは生命力のかたまりで、知恵が備わっている。逆に教わることのほうが多いくらい。じゃあ、そういう私でいていいんだって思って、それからは教えてあげようって考えなくなりました」
教えるのではなく、シェアして、いっしょに考えていくのだそうだ。
「息子なりの意見があって、新しい切り口だったりするので、なるほどな〜、子どもたちは進化しているな〜と」
子どもにとっては毎日が不思議なことだらけ。大人にとっては当たり前のことを、"どうして?"と聞かれて、驚かされたり、困らされたりすることも度々だ。最近の息子さんからの質問も、まさに"新しい切り口"だった。
「なんで今日は今日なの?って言われたんです。どうして今日は、2月9日(月)なの?っていうふうに。衝撃でしたね」
瞬間に、中嶋さんも「私もそう思う!すごい不思議」と口から出てしまったという。そこから始まった家族の大会議。
「今日が何月何日というのは、グレゴリオさんという人が決めたんだけど、でも日本には、お月さまの満ち欠けで決める暦もあったのね。私たちは農耕民族だったから、何がいちばん大事かというところから暦が生まれました。いつ苗を植えたらいいかね、お山の具合を聞いてみよう〜って。そう思うと、日本だけじゃなくて、世界中で違う暦がいっぱい存在して、違う時間を生きている人がきっといる。だから、なぜいま、この日なの?っていう質問は、"とてもいい質問"って息子に言ったんです。母も交えて家族4人で、あーだろう、こーだろうって。私たちが何を大事にしたいかによって暦を作ってもいいんじゃないかって。すごく楽しかった。答えはないんですよ。これもいいね、混ぜてもいいねって。そんな感じなんです」
疑問が生まれたら 抱えていた結論を手放したい
「なるべく固まった考えを持たないようにしていたい」と中嶋さん。息子さんが何か情報を得てきたときに、ちゃんと受けとめつつも、「こういうお話もあるよ」と、違う角度から話を投げかけられる人でいたいという。
「社会の縮小として家庭があると思うんです。勝つとか負けるとか、正しい正しくないとか、どっちかって決めないことによって、5しかなかったものを7くらいにできたらいいなって」
そんなふうに考えると、動かしようのない事実などないような気がしてくる。
「全部に疑問を持つと楽しいし豊かになる。好奇心を止めてはいけないっていうことを子どもに学ぶんですよね。この世の中は捨てたもんじゃないって、いっぱい気づくことができるんです。決まり切っているとか、結論が出ているとか思ってしまうと、とてもつまらないし、悲しい。楽観視とも違うんですけど、探求するだけの価値は絶対にある。たとえば、医療や科学も、教科書のことでも、どんどん覆されていっている。なんら完成も完結も迎えていない。諦めたら終わってしまう。あることについてはわかったけど、その先を知ろうとしてまた新たに疑問が生まれたら、抱えていた結論を手放したいんです」
ひとつのことに固執すると、それを守るために人は孤独に陥りがちだ。でも、中嶋さんは、どんな人であっても、その人をかたちづくっているのは、数えられないほどの物事、そして誰かの知恵や経験ではないかという。
「だから、人は絶対にひとりでは生きていけないと思うんです。それもこれも私をつくっている--そう思うと、聞く耳も、咀嚼(そしゃく)する歯も持てるかなって」
やわらかな空気をつくっているのは、やわらかな考え方だった。それは、エコロジーよりも、温暖化対策よりも、いまの私たちに必要なことなのかもしれない。
コメントをお書きください