エネルギーの自給は、片寄った富を再分配する

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株式会社エイワット代表取締役の

柴田政明さんにお話を伺いました。

 

取材:温野 まき 撮影:松岡 広樹

柴田 政明 (しばたまさあき)さん

株式会社エイワット代表取締役。1957年生まれ。1982年株式会社栄和鉄工所(現・株式会社エイワット)に入社。1972年創業以来金属加工業を軸として活動してきた先代の後を受け継ぐ。環境関連機器、防衛庁、原子力関係の機器の製作に携わる。1994年株式会社エイワット代表取締役就任。1997年にデンマーク、ドイツ、モナコに環境・エネルギー視察に行き、環境政策、再生可能エネルギー技術などを学ぶ。帰国後、再生可能エネルギーの開発・製作に取り組み、1999年に市民出資の太陽光発電所を自社の屋根を活用して立ち上げ、市民共同発電所を全国に広める。2001年には、坂本龍一、GLAYの TAKUROと共にArtists' Powerを立ち上げ、アーティストたちと自然エネルギー普及推進を始める。開発途上国への自然エネルギー技術指導、施設設置ななども行う一方、国内でも、地元大阪府を中心とした自然エネルギー事業、コンサルティングを行う。自然エネルギー協会会長、関西環境取引所代表理事などを兼務し、公共機関、学校、企業などで講演活動も行う。

 

儲かることは、信頼されている証だった

 「環境のビジネスをやるまでは、だいたい3年間でなんでも成功させてきたんですけどね。環境はもう12年やっていますが、難しくて。そろそろ儲かるかなと。儲かるっていうと皆さん嫌がるんですけど、儲かるという字は、"信じる者"って書くんですよ。何かを売ることで、それが人の役に立って、信頼してもらうということですから、本来は素敵なことだと思うんです。お金儲け自体が目的になるのとは違います」

 

 明快に答えてくれたのは、大阪府堺市に拠点を置く株式会社エイワットの代表取締役、柴田政明さんだ。

 

 1999年、自社に市民出資の太陽光発電所を設置したのを皮切りに、近畿地方を中心に全国へ向けて市民共同発電所(*1)を広めた。現在は、新エネルギーの技術開発と普及を行い、大阪北部地域に予定されている次世代エネルギーパークのプロジェクトへのコンサルティングなども手がける。そのスタートはどこにでもある小さな町工場だったという。

 

「先代の父がつくった会社で、金属加工を行う40坪ほどの町工場でした。僕は、本当は会計士になりたくて大学で勉強していたんです。でも、父が倒れたので、親孝行のために入社しました。25歳の時です。父が鉄工業で苦労していたのを知っていましたし、中学時代から手伝っていて仕事の内容もわかっていましたから、僕の人生は終わったと思いましたね(笑)」

 とは言いつつも、「常に一生懸命やりたい。自分の能力を100%出したい」という思いがあった柴田さんは、加工する前の金属材料を100キロ抱えて、車の荷台に運び入れるような仕事をしつつも、仕事の効率を考え、従来通りの工場のやり方を見直し、新しい技術へ目を向け続けてきた。そうしたなかには、防衛庁の仕事や原子力開発のための部品づくりもあったという。

 

「僕は、反原発じゃなくて、脱原発。現実問題として原子力に恩恵を受けていることも認めなくては。とはいっても、とても危険なものでもあるので、原発から自然エネルギーへシフトを変えていきたいと思っているんです。賛成派も反対派も、お互いに反発し合うんじゃなくてベクトルを前に向けられたらいいですよね。そのために議論しなくてはけないし、相手を許す必要もある。僕は、危険な思いをして原発に関っている人たちも知っています。ですから、その方々に感謝する気持ちも大切にしなければならないと思っています。ものづくりをしているからこそ言えるんです」

 

 確かに、一度受け入れてしまった巨大なシステムに対して、反対を叫んでいるだけでは前に進まないとも言える。システムと関わることで問題点を研究し、修正することができるのかもしれない。

 

日本を支えてきた中小企業が疲弊している

 柴田さん自身、問題点の修正を常に行ってきた人でもある。行き詰まりを見せていた従来型の金属加工業にあって、将来性のある"ものづくり"を模索することは死活問題だった。試行錯誤しつつ、太陽光発電と風力発電のハイブリット・システムを完成させ、地元の小学校で『自然エネルギー授業』を行った。

 

「子どもたちが、太陽光発電で噴水が出るのを見て、『おっちゃん、どこかに電線かくしてるんちゃう?』って言うんです。風車が回って電気が生まれることに、みんなが感動するのを見て、感動しました。このわくわくする思いを全国に広げていけないだろうかって」

 

 本格的に自然エネルギーを事業化していくことを決めたきっかけは、1997年に環境への取り組みと新エネルギー施設の視察で訪れたデンマーク。

「デンマーク、ドイツ、モナコへ行ったのですが、自分の価値観が変わりましたね。特にデンマークが印象的でした。人口550万人ほどの小さい国なのに風車がいっぱいある。オイルショックのときに原子力推進という選択があったのですが、それを辞めたのです(*2)。元々資源のない国で、土地がやせているから酪農しかできない。地下水が飲料水なので、地層汚染を避けるために、家畜のし尿などをタンクに入れて夏まで置いて施肥をする。そうした状況のなかで、タンク内のメタンガスの発酵で発電し、熱は暖房に利用するというように、エネルギー自給率を目覚ましく向上させました。エネルギー資源がないからこそ、知恵を出し合い、みんなで支え合って、ハッピーになる方法を考えたんです。エネルギーだけじゃなく、福祉も100%ですし、学費も無料。国民は財産だから国が守るわけです。日本とはまったく反対。自殺者が年間3万人もいる国なんて、豊かとはとても言えない」

 特に、日本の中小企業の疲弊は深刻だ。大企業を支えてきた中小企業を救済しないと日本は一気に足場を失う可能性があると言う。

「中小企業は、安価に叩かれ、しかも納期を急かされる。政治家も頂点にいる経団連などの言うことしか聞かない。大企業は、経営が傾いたら民事再生法が適用されるし、トップは退職金ももらえる。でも、中小企業はそうはいかない。ものづくりの現場が大事されないで大きくなったピラミッドが、いまの日本の社会だと思うんです」

 頂点の部分だけの成功がクローズアップされ、そこで膨大な利益が生まれてきた。ところが、それを支えてきたものづくりの現場、基盤が失われつつあるのだ。

 

「疲弊している業界に、若い人が入ってくるはずがない。いつの間にかピラミッド形がダイアモンド形になってしまう。中小企業をなんとか活性化しなくてはいけません」

 

 だからこそ、柴田さんは現場から声を上げてきたのだ。

 

「黙って下請けでやっているだけでは、大企業や銀行から叩かれる一方です。生き抜いていくために、僕は直接マーケティングもしたし、政策も勉強しました。音楽で言うなら、作曲だけができてもだめで、自分で歌えなくてはいけない。シンガーソングライターにならなくてはあかんということです」

 

地域を元気にする"村の鍛冶屋プロジェクト"

 柴田さんはいま、全国のものづくりの現場をコンサルティングしていくことを考えている。

「名づけて"村の鍛冶屋プロジェクト"です。町の電気屋さんや鉄工所など、地域に根ざした商店や製造業があります。そういうところも時代に合ったアイデアや技術力があれば生き抜いていける。構想としては、自然エネルギー設備づくりと、設置できる技術の提供です。全国300カ所ほどにエイワットをフランチャイズ化して展開していきたいと思っています。私たちとは違う業種であっても、住宅工務店が地域の木材を使うことでカーボンオフセットできるようにする、技術を次の世代がきちんと受け継いでいけるようなマイスター制度をつくる...アイデアはいろいろあります」

 雇用はもちろん、文化も食も、いまのように何もかもが一局に集中するのではなく、それぞれの地域で魅力あるものが出てくるかもしれない。

「例えば、シングルマザーがいて、本当は実家に帰りたいが田舎には職がない。そうした情報をネットワーク化して解決するために、地域のメディアが生まれていく可能性もある。アーティストも東京へ出て行くんじゃなくて、これからは自分の生まれ育った町を拠点に活動したらいいんですよ」

 地域が自立し、活性化していくためにも、エネルギーの自給は欠かせない。

「高騰が予想されている石油にいつまでも頼るんじゃなくて、地域で太陽光発電、風力、マイクロ水力をやっていけばエネルギーを自給できるじゃないですか。雇用が生まれる大チャンスですよ。仕事がない人に失業保険を払うのではなくて、こうした新しい産業や地域活性化のためのプログラムを学べるインターシップに行って、次のステップのための勉強をしたらお金払う制度にすればいいんですよ。そうじゃなかったら、町を掃除したらお金を払うとか。何か仕事の機会を与えればいい。国が企業に雇用調整の助成金を払うんじゃなくて、仕事がないんだったら、開発途上国などへ自然エネルギーや環境保全の技術支援を行う団体をつくることもできるはずです」

 しかし、大企業になればなるほど柔軟性を持てないのも事実だ。ものづくりについても、中小企業だからこそ新しい技術開発が可能だという。つまり、大企業の技術力は、他の追随を許さない専門性の高さでもある反面、応用力や柔軟性という面では足かせになることもある。エイワットのような中小企業は、そうしたさまざまな大手の下請けだったからこそ、すべての機械をつくるノウハウを持ち合わせているのだ。

「大学の工学部を出たからといって、図面は引けません。ものはつくれないんです。大学の先生が偉いことを言っても、現場にしかわからないことがたくさんあります。農学博士よりも、毎日畑と関わっている農家の人のほうが野菜のことをわかっているということです」

 大企業主導ではなく、もっと小さな柔軟性のある社会----。それが、柴田さんが描く未来の地球の姿だ。

 

「本来は、農業、林業、漁業などの生産者が,"お金という契約"を司っていて、生産された分と同じお金が発行されていたはずなんです。稀少なものについて相場が高くなるということは、取り尽くさないというセキュリティの役割りもしていたわけです。それが、いつの間にか不当な価格操作が行われるようになって、お金が地球のキャパを大きく超えて膨張してしまった。それどころか、数字だけで膨大なお金の取引が行われているわけです。そんなのはおかしい。一握りの人たちのところに集まってしまったお金を、もう一度再分配する必要があります。教育や環境整備に戻していかなくてはいけないということです。世界中で、エネルギー、水、食糧が、地域で自給されれば、大企業主導ではなくなるし、通貨価格に翻弄されることもなくなります。きっと為替の格差もなくなって、物々交換の代わりに発行された本来のお金の価値に戻っていくんじゃないでしょうか」

 

 いつか世界中で、お金の価値が、誠実につくり出されたものの正当な対価となったとき、"儲ける"という言葉は、その本来の意味を取り戻すに違いない。

 

 

(*1)市民共同発電所

 

市民が小額の資金を出し合って太陽光発電装置を設置し。電力会社などに売電して利益を還元する試み。株式会社エイワットは、自社工場の屋根のほか、近畿圏の各地で保育所や店舗の屋根などを使って市民発電所を設置した。

 

(*2)デンマークにおける原子力放棄

 

1973年のオイルショック後に、デンマークでは、電力会社による、全国15カ所の原子力発電所建設計画が持ち上がったが、環境NGO「OOA(原子力発電情報組織)」が草の根的な運動を展開し、社会的な議論を高めて反原発へと世論を動かした。1979年に起きたスリーマイル島原発事故、1986年のチェルノブイリ原発事故を契機に、デンマークは原発放棄を選択し、再生可能エネルギーにより、1972年に2%だったエネルギー自給率を2000年には 139%にまで向上させた。

 

サイト

株式会社エイワット

URL: http://www.eiwat.co.jp

 

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