自分の能力を生かせ!

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クリエイターのいとうせいこうさんに

お話を伺いました。

 

文:温野 まき 写真:黒須 一彦

いとうせいこう さん

1961年生まれ。1984年早稲田大学法学部卒業後、講談社に入社。86年に退社後は作家、クリエイターとして、活字、映像、舞台、音楽、ウェブなど、あらゆるジャンルに渡る幅広い表現活動を行っている。ジャパニーズヒップホップの先駆者として活躍し、日本語の表現方法の可能性を追求したことで、その後のカルチャーシーン全般に多大な影響を与えた。作家としては、『ノーライフキング』『解体屋外伝』などの小説や、自らのベランダ園芸を綴った『ボタニカル・ライフ』(講談社エッセイ賞を受賞)などの著作を発表。2006年に創刊された『planted』(毎日新聞社)は、これまでにない園芸カルチャー誌として話題になり、2009年現在は、ウェブTV『plants+』として展開中。ポエトリーリーディング活動も精力的に行なっており、「アースデイ東京2009」では、ビートニク詩人ナナオサカキの詩をリーディングして会場を圧倒した。また、12年ぶりとなる連載小説をブログで発表したほか、正式加入したポップユニット□□□(クチロロ)のアルバムが12月に発売予定。

 

食糧も枯渇しているけど、アイデアも枯渇している

 いつもピンで立っている----そんな印象がある。実際に、待ち合わせ場所にも一人で現れた。著名人と言われる方々は、マネージャーと一緒に取材場所にやってくるのが常なのに、マネージャーとも現地集合という身軽さ。すべてを自分で判断し、クリエイトし、責任を負ってきたからこその身軽さなのだろう。そして、発する言葉は、身軽さと相反するかのように地に根ざしている。まるで樹木のように。

 

 そんな、いとうせいこうさんは、東京の下町に暮らす粋なエコロジストでもある。

 

「僕は、クーラーがだめだから、2年くらい前までは、夏は扇風機とうちわで過ごしていました。最近は、暑さがひどくなってきたから、ほんの少しの時間つけてしまうこともあります。そんなふうに見えないかもしれないですけど(笑)」

 エコについても、我慢よりも楽しんでしまうタイプだ。

 

「去年、トイザラスの通販で子ども用プールを買いました。ホースで水を溜めて、暑いときは水着で入ってますよ。それがいちばん僕にとっては体にいいです。うち、ものすごい電気代少ないですから。行水して、2〜3日したら、その水を植物にやる。だから、僕は何も我慢してない。エコは我慢よりも、アイデアでしょ? いま、食糧も枯渇しているけれど、アイデアも枯渇している。江戸時代の人の方がエコロジーだったかもしれない。もったいないから、こういう食べ物を作ろうとか、こうしたら涼しくなるんじゃないかとか」

 

 ここ数年、古典にはまっていたという。なかでも江戸文化の豊かさには、浅草文扇堂の扇師・荒井修さんや江戸文字の大家・橘右之吉さん等の交流を通じて心酔した。

 

「だけど、江戸時代まで戻せ的な議論は違うだろうと思っているのね。人口が増えてしまったし、交通の便が良くなって、国を越えて人が出入りできるようになった。人類が少なかった時代に戻ることはできない。そうした状況の中で、どういう選択肢があるのかっていうふうに考えてきました

 

価値が貨幣の中だけで産まれていた時代

 80年代のカルチャーを牽引した一人でもある。講談社時代は、ファッション情報誌『ホットドッグ・プレス』の編集を務め、ミュージシャンとしては、ヒップホップやラップを日本に広めた。享楽の時代からバブル崩壊、現在にいたるまで、常に表現者であり続けてきた。

 

「でも、本当に享楽していた人は、株のようなものを操作してきた人たちですね。たとえば、リーマンショックも同じことだけど、要するに資本が実態から離れて、過剰にお金を産もうとしてきた。こんな破壊的なものはない。僕はバブルでいい思いはしていないんですけど、それでも80年代の方が、まだ実体的な楽しみをしていたと思いますね。なぜならば、もっと新しい音楽やファッションを創った方が面白いんじゃないかとか、みんながびっくりするんじゃないかとか、クリエイティビティの中でそれが行なわれていたのが80年代だと思うんです。ところが、90年代後半から起こったことっていうのは、新しいものをクリエイトするんじゃなくて、"その株を転がせ"ってことです。価値が、貨幣の中だけで産まれて、実体なく空回りしていた。リスが回し車を回すように。そこまでやって人類はようやく、こんなことしていたら実体はどうすればいいんだっていうことになった。自分たちは体というものを持つ実体だからです。特に先進国の中で、はっきり意識が変わってきた。それで、エコロジーを"うさんくさい"と言っていた人たちも、実体とは何だ?という側に入ってきたんだと思います。人口に対して食糧が圧倒的に足りないこと、遺伝子組み換えをして農業の効率化を図っても、それによって何年先にどういうことが起こるかわからないじゃないかということを含め、実体が徐々にわかってきた。遅きに失した部分はあるにせよ、いまの流れは、悪い流れではないと思います」

 それでもまだ、利益を優先するために解決を先延ばしにしたり、温暖化が起こっていないと論じる人たちがいるのも事実だ。

 

「一部では、CO2が温暖化の原因ではないとか、いろんなことを言う人はいますが、僕は基本的にそういう議論はばかばかしいと思っています。温暖化にいろんな原因があるとしても、CO2が疑わしいならば、疑いが100パーセント晴れないんだったら、それも規制しようよ。揚げ足とっていれば自分の社会に対する優位性が増すかのような発言っていうのは、単純に自分が気持ちいいだけです」

 

真面目な気持ちとユーモアの両方があるのが好き

 少しでも現状が良くなるように、アプローチも縦横無尽。植物や緑化の重要性をただ真面目に説くのではなく、ベランダ園芸を楽しむ人たちを"ベランダー"と称して、ボタニカルな情報を発信続けていることでも知られている。

 

「ベランダ園芸を始めて15年くらいになりますけど、最初は母親が、金のなる木と笹、オリズルランを送ってきちゃったんです。いまから思えば育てやすい植物だったんですけど、当時はどうしていいかわからなくて枯らしてしまったわけです。死んだと思ったんですけど、枯れたところを切って、水をあげておいたんです。そしたら、笹はだめだったんですが、金のなる木もオリズルランも新芽が出た。そときに僕は、ものすごい衝撃を受けた。死んだはずのものが蘇るって何だろうって。それから、近所の植木屋へ行っては、ちょっとずつ買ってきて、3つ買ってきたら2つはだめにしてっていうのをずーっと繰り返して」

 衝撃から興味へ。いまでは植物は敬意の対象でもある。

 

「植物がいないと、地球上の生物はぜんぶ死ぬでしょ? ものすごい大事な、命の源みたいな存在でしょ? なぜって、自分たちの身の回りにあるものは、ほとんどが植物でできているから。衣類も、お酒も、食品も。豚や牛も植物を食べて生きている。とんでもない存在なわけ。と同時に、植物の存在は癒しじゃないって、いつも言うんです。自分を投影して癒してもらっているわけだけど、でも、本当は僕らとまったく常識が違う生物。一年で死んで、また生まれ変わるなんて人間にできないから。ある成長の一点で、突然、つぼみが膨らんで、みるみる大きくなって花を咲かせると、いままでなかった色素が現れるなんて、いったいこれは何なんだって。植物は生き抜くことしか考えていない。でも、僕らは、それを利用して、季節の変化とか、温暖化がわかったりする。彼らを食べ、風が吹けば木々から聞こえる音が気持ちいいと思う。だから、僕は、異なる存在であることを認めて、自分のベランダに不自然だけど来てもらっているんです」

 

 2006年に創刊された『planted』(毎日新聞社)は、せいこうさんが、クリエイティブ・ディレクターのルーカスB・Bさんと組んで、植物×カルチャーといった切り口で魅力的に見せてくれた雑誌。ビートニク詩人ナナオサカキさんや大江健三郎さんが登場するなど、園芸誌には収まらない型破りな雑誌として話題になった。惜しくも雑誌は休刊したが、いまは、「Plants+(プランツ・プラス)」というウェブ・メディアとして新たに展開している。

「ネットで展開しようって言ったのは僕で、全部動画にしたいって言ったのはルーカス。じゃあ、俺たちでテレビに対抗するのを作っちゃおうかって。植物が生活のものすごく大事な一部だっていうことになっていくといいねってルーカスと話している。いまは手弁当だけれど、儲けるんじゃなくて、"うまい酒が飲めるレベルにしよう"って。サステイナブルな活動にしてかないとね」

 

 面白いと思ったことはどんどんカタチにしていく。もう一つの例として、おもむろに、ポケットから歩数計を取り出して見せてくれた。

 

「自分で気に入った歩数計に、勝手にスワロフスキーのラインストーンをつけてる。タニタのFB721っていう歩数計なんだけど、この方が面白いじゃない? ブログで、すげぇかっこいいだろう? 歩いた方がかっこいい!って言ってたら、タニタがデコバージョンをやろうと提案してきて、5パターン出たんです。再生紙を使ったパッケージにして」

 

 こうして昨年11月に発売されたのが歩数計「ホスーK」は、ラインストーンのシールでデコレーションできる遊び心あるものだった。

 

「僕は、女子高生がこういうのを持ったらいいって思っているわけ。遊びみたいなことをどんどん提案したい。この状況をどうにかしようっていう真面目な気持ちとユーモアの両方がある。ニヤッとしちゃうような。僕はそういうものが好きです」

 

始末がいい暮らしが、いちばんいい

「優秀なコンテンツをつくっていれば必ず人は集まる。30年くらいやってきているから信念というか、抜け作みたいな、ばかみたいなところが僕にはありますね。すごく楽天的だって、この頃気づくようになった」

 

 自らを「楽天的、楽観的」と言う せいこうさんに、人類の未来について聞いてみた。

 

「基本的に人類が死滅すれば、地球はいつか元に戻る。エコロジーっていうのは、人間が生きていけるかどうかを人間が心配していることです。でも、子孫のこともあるし、種の多様性としても人類は面白い。どうせ人類がいなくなるんだからと悲観主義になってしまって、じゃあ、もういいじゃない、使うだけ使ってしまえばっていうふうには、僕はならない。いつか人類は滅びるっていう同じゴールだとしても、そんな罪悪感を持ちながら、その時だけ楽しんで死んでいきたくないもの。そこそこ、やったぞって言いながら死にたい。そのためには、楽観の方向をとるしかない。なんとかなるって思いながら、より良い道を探すんです。猫はそういうふうには思わないでしょ? 孫の代のことを考えない。それができるのは人類だけだから。想像力をもつ人類が悲観的な道を選ぶはずがないと信じたい。僕からは、人類として、自分の能力を生かせ! というメッセージがある」

 そして最近、とてもいい言葉に出会ったという。

 

「浅草に住んで十何年になりますけど、江戸文字の大家として知られる橘右之吉さんが『始末がいい暮らしが、いちばんいい』と言ったんです。いい言葉だなーって。始末っていうのは、始めと終わりって書く。『この頃の人は、贅沢の仕方も、節約の仕方もわかってない。俺たちは始末のいい暮らし方をしたい』って。僕もそう思う。始末のいい暮らしをして始末のいい人間でいる。生きる倫理ですよね。もともと日本にはあったのに、それを一瞬忘れていたわけでしょ、この国は。単に、だらだら貧乏になっちゃってんじゃないの?って。服も髪も洗えばいいのにって。年収100万の人でも、何千万の人でも始末がいい暮らしをしている人同士なら、同じテーブルで話ができる。僕もそこに居て一緒に話がしたい。根源的に考えていくと、不自由に思えることって洗脳だから。論理的に詰めていけば、全部自由。"世の中は不自由だ"って言い過ぎる。それは、お前が見つけていないだけなんじゃないかって」

 

 そういえば、いとうさんが敬愛する植物も、新芽を出し、枝葉を伸ばし、花を咲かせ、実をつけ、枯れて土の養分になる----。生きたいように生き抜いて、自分で始末をつけているのではないだろうか。ひょっとして、地球に迷惑をかけて、始末が悪くなってしまったのは人間だけなのかもしれない。

 

 諦めている場合ではない。自分の能力を生かせ!

 大事なのは「始末が良いこと」で、あとは自由。

 

 そう思った瞬間、こちらまで身軽になるような気がした。

 

(2009年10月1日) 

 

サイト

いとうせいこう公式サイト

URL: http://www.cubeinc.co.jp/ito

plants+

URL: http://www.plantsplus.jp

 

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