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日本初のパッシブハウスを設計した
森みわさんにお話を伺いました
取材・文:加藤 聡 写真:黒須 一彦
森 みわ (もり みわ)さん
1977年生まれ、東京都出身。横浜国立大学工学部建設コース卒業後、ドイツ政府研究奨学生(DAAD)として渡独。ドイツStuttgart大学建築都市計画学部にてDiploma学位取得。建築設計事務所Mahler Guenster Fuchs Architektenにて勤務、東京ドイツ大使館の設計等を手がける。2004年以降はアイルランドの設計事務所Buchloz McEvoy Architects、MosArtでの勤務を通じて、自然換気による省エネ商業施設やオフィス設計、パッシブハウス基準を満たす集合住宅等のプロトタイプ開発に携わる。2009年に神奈川県鎌倉市に拠点を移し、設計事務所KEY ARCHITECTSを設立。ドイツのパッシブハウス研究所の認定を受けたパッシブハウス国内第一号を完成させる。2010年2月には一般社団法人パッシブハウス・ジャパンの代表理事に就任。著書に『世界基準の「いい家」を建てる』(PHP研究所)。
決して断熱オタクではありません!
幕府開府から800余年。今なおその風情を残す町、古都鎌倉。この町に昨年8月、ドイツを発祥とする世界トップクラスの超省エネ住宅「鎌倉パッシブハウス」が誕生した。鎌倉駅からほど近い話題の建物を訪れると、設計者の森みわさんが笑顔で出迎えてくれた。
パッシブハウス――。建築や住宅によほど詳しい人でなければ、初めて聞く言葉かもしれない。簡単に説明すると、建物の断熱性・気密性を高めることで、換気風量の温度調節機能だけで冷暖房をまかなおうという住宅のことだ。アクティブな冷暖房器具を必要としないところから"パッシブ"の名がつけられた。その省エネ性能の高さは、日本の次世代省エネ基準の3倍以上。これまでドイツを中心にEU各国で1万5000戸以上が建てられ、今や世界中でパッシブハウスの考え方を継承する運動が広がっているという。鎌倉パッシブハウスが"日本初"と言われるのは、ドイツのパッシブハウス研究所で正式な認定を取得した物件のため。この認定を受けるためには、厳しい条件が課せられるのだが、少し専門的な話になるので割愛する。もし興味のある人は、森さんの著書、『世界基準の「いい家」を建てる』にわかりやすく書かれているので、ぜひ読んでみてほしい。
このパッシブハウスの完成をきっかけに、今や、省エネ住宅に関する講演や取材などに引っ張りだこの森さん。ところが周囲の人たちは彼女に対して、誤解したイメージを持っていることが多いのだという。
「どうもみなさんは、私のことを省エネマニアだとか断熱オタクみたいに思っているみたいなんですよね(笑)。そんなことは全然なくて、単にこれまで、高い省エネ性能を出すのが当たり前という土壌で仕事をしてきただけなんですよ」
大学時代、建設学を専攻していた森さんは、意匠設計と構造設計とが完全に切り分けられてしまい、両方を一緒に学ぶことのできない日本の建築教育のあり方に強い疑問を感じていた。ある時、構造設計を見事にデザインに昇華させているドイツの研究所の存在を知ったことで、国費留学生として海外へ渡ることを決意する。
「そこでは、フィルムのような薄い材料を用いて、屋根や外壁をつくりだす膜構造建築を研究しました。膜素材は引っ張ることによって構造が安定するので、その構造の合理性がそのままデザインになるんです」
念願でもあったデザインと構造の勉強に加え、日本では教わることのなかった省エネ性能の出し方についても、必死で学んだそうだ。ドイツの大学を卒業後は、アルバイトとして働いていた設計事務所で、そのまま正社員として登用されたというから、彼女がいかに優秀な学生だったかがうかがえる。
「ドイツでは省エネ政令に基づき、建物の省エネ性能を出さなくてはいけません。私が勤務したのは、コンペで勝つようなデザイン性に優れた建物を数多く作る設計事務所でしたが、例外はありませんでした。ここではデザインから逆算して導き出した数値を、実際の材料構成に落とし込みます。場合によってはメーカーに掛け合って、新しい部材を作ってもらうこともあります。自分の求めるデザインを追及するためには、構造設計や省エネ性能の計算ができないとダメなんです。私が特別、断熱オタクなのではなくて、意匠も構造も省エネの計算もできるというのが、ドイツでは当たり前なんですよ」
健全な家でこそ健全な心は育まれる
「2004年、私はアイルランドに移り住み、首都ダブリンの設計事務所で働くことになります。まだ住宅の省エネ化が進んでいなかったアイルランドでは、ドイツで培った省エネ設計のノウハウが非常に役立ちました。さらには、パッシブハウス基準を満たす集合住宅のプロトタイプ開発に関われたのは、私にとって非常に大きな経験でしたね」
もしもアイルランドを経由しなかったら、日本でパッシブハウスを手がけることはなかったかもしれないと語る。そして、ドイツ、アイルランドと海外にいたからこそ見えたものもあったという。
「日本は豊かと言われていますが、私の目にはそうは映りませんでした。そしてその原因は家なんじゃないかと思ったんです。本来、家は安らぎの空間であるはず。けれども日本の家はそうじゃない。寒くて、カビだらけの家では、心のゆとりが得られないのは当然で、地球の裏側で起きている環境破壊や貧困問題などを考える余裕も生まれないでしょう。そういう意味では、住環境を提案する立場の人間として大いに責任を感じています。こうして、日本で家を建ててみたいという想いが次第に強まっていきました」
2008年、突如そのチャンスが訪れる。出版関係の仕事を通じて知り合った現在のオーナーさんが、家族4人で暮らすための自宅の設計を森さんに依頼したのだ。
「限られた予算のなかでどのような家を建てようか検討を重ねましたが、日本の住宅のレベルアップとEUの省エネ基準のシビアさを広めるためにも、日本初となるパッシブハウスの建設を決めました。ただし、このプロジェクトが生んでしまった誤解というものもあって、ツーバイフォーだとか、トリプルサッシだとか、30センチの壁厚だとか、良くも悪くも鎌倉パッシブハウスの仕様だけがクローズアップされてしまいました。本来、パッシブハウスは、依頼主の要望や条件に合わせてカスタムメイドで作られるものです。ぜひ次のプロジェクトではそうした誤解を生まないよう、鎌倉とは全く違う答えを示したいと思っています」
普及に必要なのは若い担い手と日本基準
「最近になって、自分がこれまで海外で積んできたノウハウや経験を、日本の若いデザイナーたちに伝えたいと思うようになりました。そしてその思いが叶い、今年の4月から、東北芸術工科大学で客員教授を務めさせていただくことになりました。内容は『省エネ建築デザイン』。省エネ性能を最初から考えながら建築をデザインするという、かつて私が日本で学ぶことができなかった新しい建築デザインの手法を学生たちに教えていきます」
またこの2月からは、森さんが代表理事を務める一般社団法人パッシブハウス・ジャパンの活動がスタートした。その目的の一つは、日本版パッシブハウスの実現。
「鎌倉パッシブハウスの完成によって、ヨーロッパの風土で生まれたパッシブハウス基準を日本で正しく紹介するという役割は達成されました。次のステップは日本らしさの追求。パッシブハウス・ジャパンでは、ドイツのパッシブハウス研究所との連携により、日本における経済性と居住性のバランスを考慮した新たな基準の確立を目指します。完成した基準は、国の政策に取り込まれていくような流れを作りたいと考えています」
昨年11月に行われたEU議会では、2021年以降に新築されるオフィスや住宅について、CO2排出ゼロを義務付けることが決定した。ちなみに現在のパッシブハウス基準でもゼロカーボンは実現していない。一方で日本の断熱性能基準は、一番優れたものでもその3分の1程度。世界の常識とはおおよそかけ離れた日本の省エネ基準に、暗たんたる気持ちになるが、森さんらの取り組みによって大きく変わることを期待したい。
家を建てないという選択肢もある
「建築に関わる者としてはちょっと矛盾しているかもしれないですが、これからの人たちには家を建てないという選択肢もサポートしていきたいとも思っています」
さすがにこの発言には驚いた。だが森さんはこう続ける。
「現代のライフスタイルには、持ち家を持つということは合っていないんじゃないかと思うんです。人のライフスタイルや価値観は刻々と変化します。家族構成も変わるし、身体的な能力も変化していく。働く場所だって同じとは限らない。当然、家に求めるものも変わってくるはずです。そんななかで家の場所だけが変わらずに、対応していくというのは無理があるというものです。もっと衣服のように自由に家を着替えられるべきではないでしょうか」
確かに、いつ突然、職を失うかもしれない時代に、無理にローンを組んで家を買うことが本当に幸せなのかはわからない。人生の楽しみは、家を持つこと以外にもたくさんあるのだから。
「今後、家を建てようと思っている人は、もう一度よく考えてみてください。生涯賃貸という選択もあると思いますし、比較的安価で性能の高い中古住宅が市場に出回るようになれば、気軽に住み替えるということも十分可能です。これからどんどん人口が減り、家を建てるニーズも減るなかで、それでも多くの人にいい家に住んでもらうためにも、建物の再生にはチャレンジしていきたいと思っています」
20年で住宅の価値がゼロになる日本とは異なり、ヨーロッパやアメリカでは購入時よりも値上がりすることも少なくないという。性能だけでなく、住宅政策でもまだまだ遅れている日本。真の省エネ住宅の普及のため、そして新築偏重の住まい方を変えるべく、今日も森さんは奔走する。
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