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株式会社エコトワザ代表取締役の
大塚玲奈さんにお話を伺いました。
取材・文:加藤 聡 撮影:黒須 一彦
大塚玲奈 (おおつかれいな)さん
1980年生まれ。10歳まで米国NYで育つ。一橋大学法学部を卒業(在学中に米国力リフォルニア大学バークレー校交換留学)の後、株式会社リクルートにて営業・事業企画を経験。幼少期にぜん息を患ったことと911テロ時に国際学生寮にいたことが原点となり、2006年、日本ならではの環境技術や商材の海外展開を支援する株式会社エコトワザを設立。
エコ+技=エコトワザ
かつての日本には、自然に生かされ、自然に還る、自然と共に生きる文化が存在した。それらは今でも、技術やものづくりの中に脈々と受け継がれている。
「日本には、優れた環境技術やエコ商材が数多く存在します。ところが、『英語ができない』『人材がいない』などの理由で、海外に進出できないでいる中小企業の方々が少なくありません。エコトワザでは、そうした言語や文化の壁を取り払いながらマッチングや輸出のサポートを行うことで、世界の環境問題の解決を目指しています」
大塚玲奈さんは、そう言って自らが社長を務める「エコトワザ」の事業について説明してくれた。ちなみに、エコトワザという社名は、環境との調和を目指す日本人の自然観(エコ)と、技術や技能、匠の技(ワザ)に由来している。
「(海外進出を行おうとした時)大手の商社を通すと、ブラックボックスになってしまうことがあります。どうして売れなかったのか、海外ではいくらで販売されているのか、全くわからないまま高いマージンを払わされることも。私たちが目指すのはローカル対ローカルで日本と海外の中小企業同士が直接取引をする姿。我々はあくまでその架け橋であり、サポートです。どうぞ、上手に使って上を渡ってください。そういうスタンスでお仕事をさせていただいています」
では実際に海外展開を考えた時、どんな手順を踏めばよいのだろう。
「4つの月額プランがあります。まずは『発信』ということで、弊社の運営する英語のエコ商材・技術のポータルサイトに企業紹介のページを掲載していただきます。次のステップとして、海外からの問い合わせが来た場合は、メールの和訳&英語メールの作成を代行する、『交渉支援』プランに移行します。交渉の難易度に応じてステップアップするプランを経て、最終的には『海外事業部の立ち上げ』までお手伝いします。我々は、お客様の海外展開という旅の『準備』から『離陸』、そして実際に契約をする『着陸』までを快適に、楽しみながら進めていただけるようにサポートする、いうなれば飛行機のフライトアテンダントのようなものだと思っています。各サービスのプラン名も、そのイメージからつけています」
現在、海外からの注文が増えているのは、南部鉄器などの日本の伝統工芸品だそうだ。欧州では、REACH(リーチ)規制が厳しくなった関係で、人々が調理器具の表面加工に敏感になっている。南部鉄器は化学物質を一切使うことなく、表面を焼くことで防サビ加工を施す上等焼という技法を用いるとともに、75%がリサイクル鉄で作られているという特徴が評価され、エコ意識の高い消費者の人気を集めているのだとか。
「私たちはこうした技術のことを、E.F.シューマッハーが『スモール・イズ・ビューティフル』の中で提唱している『中間技術』という言い方をしています。決して最先端ではないけれども、完全な手工業でもない、その間の汎用化された技術。もちろんどちらも大事だと思うのですが、将来的にはどこの国でも自分たちで作れるもの、そして技術移転していくことこそが、環境問題の解決には重要となります。今は輸出が中心ですが、いずれは現地生産することまでを視野に入れ、そうした企業様にお集まりいただいています」
環境問題に目覚めた幼少期~学生時代
大塚さんが、最初に環境問題に興味を持ったのは小学生の時。
「10歳までニューヨークの郊外で暮らしていましたが、日本に帰国したとたん、都会の空気の悪さからぜん息になってしまったんです。そんなこともあって、子ども心に大気汚染や公害問題が気になっていました」
その後、中高時代は環境問題について学んだり、ゴミ拾いなどの活動などにいそしんでいたが、高校3年生のセンター試験の帰り道、ある一つの考えに行き着く。
「現代社会においては、経済が第一で、その下に自然環境が資源という形で存在しています。ところが本来は、自然環境のなかに、社会だとか経済だとか企業があるはずなんです。そうした社会にならないと、どんなにボランティアで頑張ったところで環境問題は解決できない。いつかそんな理念を持った自分の会社を作ろうと決意しました」
なぜそんなタイミングで思い立ったのかと聞くと、「ちょうど卒業式に読む答辞用の原稿を考えていて、自分自身のことを見つめ直していたんで(笑)」と、おどけて答えてくれたが、そこまで社会と自身を冷静に分析して、将来の目標を描ける高校生などそうはいない。
卒業後、一橋大学の法学部に進学した大塚さんは、早速その目標を行動に移し始める。まずは、環境とビジネスの関係性を学ぶサークルを立ち上げた。さらには大学3年の時、経営を学ぶために1年間、力リフォルニア大学へと留学する。この留学期間中に、世界を震撼させた出来事が起きる。2001年9月11日に発生した米国同時多発テロだ。
「当時、私は約60ヵ国の学生が共同生活する国際学生寮に住んでいました。寮にはアラブ系の学生もいて、寮内は騒然としていましたね。そんな時、寮長さんがみんなを集め、『戦争というのは憎しみの連鎖だ。それを連鎖させることは簡単だが、ここにいるみんなはその鎖を断ち切る1人目になりなさい』というお話をしてくださったんです。その時に思ったのは、環境問題も一緒だということ。先進国対途上国とか、政府・会社対個人とか、常にそういう対立があって、誰かが悪いって話になっていく。誰かを責めるのではなく、自らがやめようよと言う1人目にならないといけないんです。そしてそれができるのは、公害を乗り越えた歴史や、もったいない精神、自然と共生してきた文化的背景を持つ日本なのかもしれないと」
さらに大塚さんは、国際関係で見逃されていた中小企業に注目。世界中に存在する多くの中小企業をつなぐことができれば、国際関係は大きく変わる可能性があると考えた。日本の環境技術と世界をつなぐというエコトワザのアイデアが誕生した瞬間だった。
リクルートでの経営者修行
日本発で環境問題の解決策を発信したいと考えていた大塚さんだが、それを実現するための道筋で迷っていた。国連で働くという憧れと、自分で起業するという夢。最終的には、リクルートと外資系コンサルティング会社の間で選択を迫られる。
「コンサルティング会社で描いていたのは、3年間の修行の後、大学院でMBAを取得して国際組織に進むという道。リクルートは、そういった華やかなエリート路線からは外れてしまう選択になるんですが、起業する人がすごく多い。実は一度は、コンサル会社に行くことを決めていたのですが、そんな時、交通事故に遭ってしまうんです。事故の瞬間、今でもよくそんなことを考える余裕があったなと思うのですが、『自分の会社を世の中に残していないのにまだ死ねない!』という想いがよぎったんです。もし国際組織に行けたとしても、いつか起業したいという思いを抱えたまま過ごすかもしれない。それならば、本当にやりたい道への一歩目を踏み出そうと、リクルートに行くことに決めました」
こうして、人事担当者にも3年で辞めると宣言して(!)入社。リクルートでの経営者修行がスタートした。
「都市計画という視点から環境問題を考えたかったので、住宅関係の部署を希望しました。最初に配属されたのは広告営業部で、社内でも比較的難しいとされる案件を任されました。それが評価されてか、2年目は新規営業組織の立ち上げを。3年目には事業企画部門で財務計画の作成や、プロジェクトマネジメントについて経験させていただきました」
ことある事に経営者になりたいと話していた大塚さんは、社内でも有名人。上司からは、「それならばこれをやりなさい」というように、経営のイロハについてたくさんのことを学ばせてもらったと話す。そんな充実の毎日を送っていた彼女に、また何度目かの転機が訪れる。
「仕事が面白くなってきて、もうしばらくは会社に残ってもいいかなとも考え始めていた矢先、アル・ゴアの映画『不都合な真実』が公開されたんです。環境配慮と経済の両立をずっと学んできた人間からすると『何よ、今さら!』みたいな思いがあったんですけど(笑)。それでも映画館に足を運んでみると、想像以上にお客さんの反応が良い。これから社会がグッーと動く可能性を感じた私は、休日明けの月曜日には辞表を出していました」
思い立ったが吉日とはよく言ったものだが、それにしてもこの行動力には脱帽である。
未来は必ず描ける
今や日本全国の中小企業から声のかかる存在となったエコトワザだが、ここに来るまですべてが順風満帆というわけではなかった。
「最初のうちは様々なことに手を出しすぎて、すごく迷走してしまった時期がありました。事業がブレていたから、毎回言うことも違ってくる。そのせいで多くのクライアントの信頼を失ってしまったことは、今でも後悔しています。ある朝、改めて自分が本当にやりたかったことを思い返し、現在の事業を残して、すべて畳むことを決めます。2008年の末のことでした」
現在、同社が輸出をサポートする商品の情報は、季刊誌『エコトワザ』とウェブサイト『エコトワザウェブ』を中心に発信されている。雑誌の特徴は、日本語と英語が併記された日本で唯一のバイリンガルメディアだということ。都内の洋書を扱う大型書店などで、直接購入することもできる。
「主なターゲットは、都内に住む駐在員です。駐在員の方というのは、帰国後にご自身でビジネスを始める方が多くて、日本の商材を探しているんです。実際、彼らに話を聞いてみると、『すごく興味はあるが、我々の帰国を何年も待っているのはもったいない。今すぐにでも欲しいという人たちが私の国にいるから、ぜひ直接取引しなさい』とアドバイスをいただきました。それを受け、昨年6月、ビジネスマッチングサイト『エコトワザウェブ』を開設します。現在までに、約140ヵ国からアクセスをいただいており、日本と海外をつなぐ交流の場になっています」
今後は、本当に環境問題で困っている国に対して、それを解決するハード技術を提案したり、国際会議の場で、日本の中小企業が環境問題の解決に貢献できる可能性があることを発言していくなど、まだまだやるべきことは多いと大塚さん。ちなみにあの日、センター試験の帰り道で思い描いた自分には近付いているのだろうか。
「近付きつつあると思います。あの頃、『企業は利益を出しながら環境問題に取り組めばいいのに』と思っていた時に、『環境問題は利益なんか関係なくボランティアでやれ』と、多くの人に反対されました。でも、今周りにいる30代前後の環境仲間も、10年前は、私と同じような想いを持っていたようなんです。それが現在では、環境でビジネスすることは当たり前の世の中になった。未来は必ず描けるし、それができるのは若者なんです。そういう意味では、これからの若い人たちにはすごく期待しています」
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