ミツバチが教えてくれること

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銀座ミツバチプロジェクトの

田中淳夫さんにお話を伺いました。

 

取材・文:温野 まき 撮影:黒須 一彦

田中淳夫 (たなか あつお)さん

1957年東京生まれ。1979年に(株)紙パルプ会館に入社。現在関係会社フェニックスプラザ代表取締役兼(株)紙パルプ会館常務取締役。2006年3月、「銀座ミツバチプロジェクト」を高安和夫氏と共同で立ち上げる。2007年に同プロジェクトが特定非営利活動法人の認証を受け、NPO法人銀座ミツバチプロジェクト副理事長に就任。2010年3月8日、農業生産法人銀座ミツバチを設立。同年6月7日環境大臣表彰を受賞。著書に『銀座ミツバチ物語』(時事通信社)。

 

街でミツバチを飼うなんて...

 初夏の日差しが降り注ぐなか、シロツメグサが咲き、ミツバチが飛んでいる----。ミツバチを見るなんて、ずいぶん久しぶりのような気がする。しかも、ここは、東京のど真ん中、銀座のファッションとグルメを牽引するお洒落なビル「マロニエゲート」の屋上なのだ。

 育てられているのは西洋ミツバチ。巣箱から4キロ四方を蜜源とし、銀座の街路樹はもちろん、皇居、浜離宮、日比谷公園に飛び立ち、四季折々の花々から、せっせと蜜を集めてくるという。昨年は、紙パルプ会館屋上の巣箱から800キログラムを収穫した。

 

 「かわいいですよ。いろんなことを教えてもらっている」

 

 巣箱から枠板を外してハチミツを採取しているのは、銀座ミツバチプロジェクトの田中淳夫さんだ。その表情と大切に扱う様子から、ミツバチたちを心底愛おしんでいることが伝わってくる。

 プロジェクトが始まったのは4年前。田中さんの本業は、銀座にある株式会社紙パルプ会館の常務取締役で、自分が養蜂と関わることなどまったく想像もしていなかったという。発端は、岩手県の養蜂家が、養蜂ができるビルの屋上を銀座で探しているという話を知ったことだった。

 

「街でミツバチを飼うなんて、危ないんじゃないかと言ったんですが、ミツバチは30〜40日の命で、その間に、掃除、子育て、家の修復、女王蜂の世話、蜜集めなどに忙しくて、人間にかまっている暇はないらしいんです。それならって、場所を探しているという養蜂家の藤原誠太さんに会った。銀座産のハチミツができたら面白そうだと思ったので、紙パルプ会館の屋上を場所貸しするだけのつもりでした。ところが、"あなたも自分で養蜂を学びなさい"と言われた。最初は冗談じゃない!と思ったんですけどね」

 

 おそらく養蜂家の藤原さんは、銀座という街の可能性と発信力に期待したのだろう。田中さんは、プロジェクトの準備を進めるなかで、日本の養蜂家が置かれている厳しい現実を知ったのだった。

 

「ミツバチは環境指標と言われるほど農薬に敏感です。少量の農薬でも体にかかると巣箱に入らない。くるくると回って、苦しみながら死んでしまう。だから、農薬を使わないで欲しいと養蜂家がお願いしても、農薬を撒かないと農業は成り立たないので、誰も取り合ってくれない。なにしろ全国に養蜂家は3000人くらいしかいないので。ところが最近、果物をつくる農家が、受粉のためにミツバチが足りないと騒ぎ出した。イチゴなどの果実は、ミツバチが受粉することで実をつけるからです」

 

 アメリカなどでも問題になっているミツバチの集団失踪。その原因のひとつは農薬にあると言われている。生産性を上げるための特効薬が、小さな生き物を駆逐してきた果てに起きていることは、巡り巡って私たちにも影響を及ぼしはじめているのだ。

 そんな状況にも関わらず、銀座という都会で養蜂ができたのは、都心に増えている街路樹や公園などの草花、そして、在来種を守るために農薬を撒かない皇居、さらに中央区が化学物質アレルギー対策として、農薬をできるだけ撒かないようにしているという好条件が幸いしたからだった。

 

サラリーマンが養蜂家に!?

「農薬がダメと言うのではなくて、生き物がいる環境っていいよねって発信していきたい」という田中さん。いまでこそ賛同者が増えつつあるが、ここまで決して順風満帆だったわけではない。皇居あたりにいる在来種の日本ミツバチが銀座周辺にたくさん出てくると、「田中さんところハチがいる、なんとかしてくれ」と言われ、巣箱を持って救出しに行くことも度々だった。ミツバチは、新しい女王バチが生まれると分蜂と言って、親の女王バチが働きバチを引き連れて引っ越しをする。つまり、親が娘に巣箱を譲るのだが、"田中さんところのハチ"は、女王バチの羽を切っているので、飛び立って新しい巣をつくることはない。そのあたりの騒動と顛末は、著書の『銀座ハチミツ物語』に書かれていて興味深い。

 とにかく、4年の間に、サラリーマンから養蜂家に転身してしまったかのような田中さん。さぞかし、幼少の頃から自然に慣れ親しんできたのではと聞いてみれば、「そんなことはありません。ミツバチに関わる前は、僕にとっての素晴らしい自然環境と言えば、朝靄の中の1番ティーグランドだと思ってましたからね」と照れた。

 江戸川区生まれの下町育ち。「子どもの頃に、カブトムシだと思ってゴキブリを捕まえて帰って来て、おふくろにすごく怒られた」と笑い、特に昆虫が好きなわけでも、詳しかったわけでもなかったと言う。

 公務員の家庭で育った田中さんは、現会社に入社し、ごく普通の安定した会社員生活を送る予定だった。ところが、バブルが崩壊した93年から、紙パルプ会館の家賃収入が右肩下がりになってしまった。

「何のために立派な建物をつくったのかと自問した結果、多くの人が集まれるコミュニティをつくりたいと思い、貸し会議室の空いている時間を利用して定期的に勉強会を開き始めました。銀座のみなさんを招いて語ってもらうと、ものすごく豊かな文化の話になる。こういうものを発信していきたいと思うようになったんです。銀パチプロジェクトも、夢みたいな話をどういうふうに実現していくかを考えるうちにここまで来ました」

 

銀座の技が地域を応援する

 田中さん自身がミツバチから多くを学び、楽しんでいる様子が周囲に伝わっていったのだろう。共感の輪が広がり、次々と新しいプロジェクトが実現している。

 

「収穫されたハチミツを使って、銀座の一流シェフやパティシエが、料理やスイーツをつくってフェアを開くことから始まりました。今度は、みなさんと一緒に新しい価値を創っていきたい。農薬を使わずに丁寧に作っている生産者の食材を使って、銀座のスイーツは美味しいだけじゃなくて、安全で、それを食べることで地域を応援することになるような仕組みを創りたいのです」

 丁寧につくったのに形が悪いという理由だけで捨てられていた規格外の農産物を銀座の技で商品にするのもその試みのひとつ。例えば、「佐渡トキの田んぼを守る会」の無農薬栽培米「トキひかり」では、規格外になってしまう小さなお米を米粉にして、銀座のハチミツと合わせ、「米粉の銀座ハチミツロールケーキ」を商品化した。大きさや形だけの選別で捨てられていた農産物を美味しく食べることで、手間のかかる無農薬や有機栽培農業を応援でき、延いてはトキとミツバチが棲める環境保全に貢献できる取り組みだ。

 

「銀座には、素材にこだわる優秀なシェフやパティシエがいる。そういう人たちは、いままでも無農薬や有機農産物を調達してきたけれど、直接生産者の顔を知ることで、モノだけを選ぶのではなく"○○さんから買います"というふうになってきています。食べたお客様の喜ぶ顔を見たシェフやパティシエの言葉を聞けば、生産者のみなさんもその思いに応えようとする

 

 情報やモノ、お金だけをやり取りするのではなく、顔と顔の見える関係が、銀座を中心に復活し、コミュニティも活性化してきた。

 

「いままで、それそれの仕事場で隔てられていたシェフやバーテンダーやクラブのママたちが、一緒に屋上で養蜂や野菜作りをすると劇的に変わるんです。ハチミツを通してコミュニティが育まれる。一流の技を持った人たちのつながりが強くなっていくことは街にとってもいいことです。シェフやパティシエは、厨房でハチミツを通して生産者のことを語り始めている。銀座のクラブのママたちも、お客様に伝えてくれる。お客様にとっても、美味しさと一緒に、ストーリーや想いも一緒に召し上がっていただける」

 

みんなが、"つながり"に気づき始めた

今後注目されるのは、「銀座ビーガーデン」プロジェクト。松屋銀座、NTT京橋ビル、銀座ブロッサム中央会館などに、屋上を利用した農園が誕生した。総面積は、約1000平方メートル。福島市や新潟市の農家の協力を得て、菜の花やベリー類、枝豆などを育て、銀座発の地産地消が広がっている。今年3月8日ミツバチの日には、農業生産法人「株式会社銀座ミツバチ」を設立し、とうとう銀座に"農家"が誕生したのだ。

 

「田舎に行かないと自然環境を見ることも語ることもできないわけじゃない。都会でも、小さな生き物の視点で物事を見たら、いままでとはまったく違う自然の風景が見えてきたんです。山間地の出来事に無関心だった銀座の人たちが、すべての生き物は、ひとつの"巡り"の中で生きているということに気づき始めている。都市でも地方でも、アメリカシロヒトリやマツクイムシがいるからと農薬を撒いてきた。そうして、木々を通して、土と水が汚染されて魚が棲めなくなってしまう。私たちが飲む水も、山の豊かな恵みからいただいているんです。小さな生き物が生きられる環境は自分たちにとってもいい環境のはず。ミツバチが死んでしまう環境で人間だけが元気で生きていくっていうのはあり得ないと思う」

 銀座の屋上から始まって、東京周辺がどんどん緑化されることを思い描く。皇居という生態系を中心として、丸の内から銀座を通って海へ、上野から埼玉へ、さらに新宿から多摩に続く緑の中継地をつくっていくことが目標だ。

 

「街路樹や緑地を中継地にすれば、コゲラのような小さな鳥が縦横に行き来できる。鉄道会社が駅舎の上を緑化したり、ビルの屋上だけでなく、壁面緑化をして、都市を巨大な森にすればいい。環境のためというだけでなく、地域の中でお金がまわる仕組みをつくっていきたい。環境だけでも農業だけでもない福祉や地域づくりも含めたものをみんなでデザインしていきたい。すでに私たちが持っているものをつなげれば、きっとできるはずです」

 

 田中さんは、巣箱を飛び立ち銀座の空を飛翔するミツバチたちを見つめながら、「なんでこんなことを始めちゃったんだろう」っと、時々思うのだそうだ。わかっているのは、ミツバチの視点で世界を見ることができたとき、誰もが変わっていくということ。銀座のミツバチ物語はまだ始まったばかりだ。

 

サイト

銀座ミツバチプロジェクト

URL: http://www.gin-pachi.jp/

 

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