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ビーチクラブ全国ネットワーク代表の
ドジ井坂さんにお話を伺いました。
取材・文:温野 まき 撮影:黒須 一彦
ドジ井坂 (どじ いさか)さん
本名 井坂啓己(いさか ひろみ)さん。1948年、神奈川県茅ヶ崎生まれ。中学3年生でベニヤ板と木製竜骨組の空洞サーフボードを自作し、サーフィンを始める。1969年に全日本サーフィン選手権優勝。日本初代表として、メキシコで開催予定の世界選手権大会へ向かうが、同大会はすでにキャンセルとなっていたため、翌年のオーストラリア大会まで、サーフボード資金を貯めて現地滞在。この顛末から、"ドジ・井坂"と呼ばれるようになる。全日本、プロサーフィン選手権初代優勝者。プロサーファー引退後は、テレビ・ラジオ・雑誌などで、海の遊び方を紹介しつつ、日本の海を通年楽しむコミュニティボランティア組織「ビーチクラブ」を各地に設立。「(社)ビーチクラブ全国ネットワーク」を束ね、海辺の文化交流を通して環境問題と子どもの教育にも取り組む。著書に、『サーフィンが上手くなりたい!』(マリン企画)など多数。
日本はビーチ後進国!?
9月になれば、海のシーズンは終わったと思っている人も多いことだろう。日本では、7月と8月が海水浴シーズンということで、この2ヵ月以外は、海の家もたたまれ、海で遊んでいるのは、マリンスポーツや釣りの人くらいのものだ。
「本当は、9月から11月くらいが気持ちいいんですよ。あとは、5月から6月。僕らは、7、8月の猛暑の真っ昼間は海に行くな!って言ってるくらいですから」と言うのは、ビーチクラブの創設者、ドジ井坂さんだ。ビーチクラブとは、日本の海を通年楽しむコミュニティボランティア組織。元々、1990年に平塚でスタートし、現在は、全国15カ所を結ぶネットワークに広がった。
茅ヶ崎に生まれ、砂浜が一番の遊び場だった井坂さんにとって、何より寂しいのは、日本人の"海離れ"。海は危険だという情報、日焼けや砂が足につくのが嫌だというような風潮など、理由はいろいろある。だが何よりも、"海=海水浴"という固定観念が、私たちが海へ行かない最も大きな理由なのかもしれない。
「ヨーロッパでは、産業革命以降、公害による健康被害を回復させるレクリエーションや保養を目的として海水浴が広まりました。対して日本は、江戸時代から超エコな国でしたから、当時は公害はまだありません。そこで明治前期にヨーロッパを視察した陸軍幹部が、富国強兵のために、欧米諸国に負けない体をつくること目的として海水浴を奨励しました。健康回復や癒しを目的としたリゾート地として発展したヨーロッパの海沿いとは対照的に、日本は夏場、体を鍛えることを重視した海水浴場になっていった。だからビーチの施設は、浜茶屋で十分という発想のまま今日にいたっているんです」
世界広しと言えども、「海水浴場とスキー場は、日本にしかない"遺産"」なのだそうだ。
「世界では、数カ月のための海水浴場やスキー場ではなく、通年楽しめるマウンテンとビーチのリゾートに進化しています。それに、日本では、"リゾート=高級"というイメージですが、本来のリゾートは"多様"という意味もあるので、いろんな人が行くことができる身近なものです。立派なホテルが1つできたからってリゾートじゃないし、地域全体の環境が良くならないとリゾートとは言えません」
海は五感を呼び覚ます
海水浴や高級ビーチリゾートという枠を取り払ってしまえば、もっとも身近な自然である海はいろんなことを教えてくれる。
「逗子海岸も七里ケ浜も粘土質、相模川の上流の丹沢の砂は緑岩石(緑凝灰岩が60%)なので、平塚とか茅ヶ崎の砂は緑っぽい荒い砂、江ノ島の辺りに来ている砂は関東ローム層の細かい砂。大磯から小田原までは、酒匂川の上流が伊豆・箱根火山帯なので、火山岩系の砂なんです。内陸部とビーチはつながっていて、砂ひとつ取っても、地域によってぜんぜん違っている。共通しているのは、海の砂は、ものすごく長い時間に渡って波に洗われて丸くなった貴重な自然の創造物ということ。だから、砂浜を裸足で歩くと気持ちいいんです」
真夏の焼けた砂浜は、熱くて裸足になるのも辛いが、それ以外の季節なら、ビーチでは、「ぜひ裸足になって、足でも自然を感じてほしい」と井坂さん。
「砂の上を裸足で歩くことがいいんです。いま、大人だけじゃなくて、子どもにも外反母趾がすごく増えているので、足の指を広げて、砂の上を歩いて欲しい」
風と波が、五感を呼び覚ましてくれるのも海の魅力だ。
「海水面は、障害物が無いので唯一風をストレートに感じられる場所です。幼児期から海の風と波の揺れを全身で感じて欲しい。普段、固い地面に立っているのが当たり前なので、揺れたときに、それを押さえ込もうとするのですが、波の揺れに、体を任せることも必要なんです。押さえ込もうとして体を固くして逆らうと、水難事故につながる可能性もあると僕は思っています。実際に、ビーチクラブに参加する子どもたちも、最初は怖々と波を見ていますが、波の力や動きを体験させて波くぐりを1人やり出すと、次々にやり始めます。波に逆らって押し戻されていた体が、波の力を五感で受け止めて、するっと抜けたときの快感が面白くて、失敗しながらも波の力を利用して楽しむうちに、やめられなくなる」
緩衝地帯を担う砂浜が失われていく
私たちが自然の力に逆らったり、押さえ込もうとしてしまうのは、体の反応だけではない。それは、開発の歴史にも通じるところだ。
「砂浜は、海と陸との緩衝地帯の役割りを担っています。ところがいまは、かつて砂浜だった場所にも建物が建っている。一番の問題はバイパスが出きてしまったことですね。全国的にそうなんですが、本来は、江戸時代からあるような旧道が一番沿岸にある道で、そこから海寄りの場所は、漁師の網小屋や舟などがあるだけだった。津波を考慮して、海沿いの鎮守の森が山の上にあったように、江戸時代までの自然と共存していた生活が、明治以降に大きく変わったのではないかと思います。さらに、戦後の高度成長と共に、内陸にはもう道路が造れないので、砂浜の緩衝地帯を開発し、干潟を埋め立て、土地を広げていった。大型船のために内湾は垂直護岸にした。人が安全に遊べる内湾の砂浜が経済活動のために無くなってしまった。一方、外海には、国土保全の目的で、数十万年の自然の創造物をたった数十年の淺知恵で護岸にしてしまった。そうやって色々な構造物を作ってはみたものの、海の波や風や流れの力にいまだ歯が立たない。海をいじくり回した構造物が無造作に置かれ、日本の海岸は荒れ放題になっている。開発で失っていったものがどれだけ多いことか」
日本全国の海岸浸食も深刻だ。砂浜が緩衝地帯の役割りをしているとすれば、その砂浜が無くなっていくことは、沿岸地域がダイレクトに高波などの被害を受けることになる。
「海岸浸食の原因は、ダムや護岸工事よって川からの砂が流れて来なくなったこと、テトラや防波堤のために、海岸沿いを移動していた砂の流れが変わってしまっていることなどがあると思います。先ほども言ったように、内陸と海はつながっているんです。海外でマングローブを植林するのもいいことですが、島国である最も身近な日本の海にも、みなさんもっと目を向けて欲しい」
遊びは波乗りばかりじゃない
海に関心を持ってもらうためには、理屈ではなく、日々の海の変化を感じてもらうために、一年中海に来て楽しく遊んでもらうことに尽きる。井坂さんが主催するビーチクラブには、現在、全国で年間1万2000人以上が参加しており、子どもからお年寄りまで、遊び方も関わり方もさまざまだ。ウィンドサーファーの真壁克昌氏等とともに、マリンスポーツの垣根を取っ払い、プロの指導者だけでなく、体験から始まって、種目や遊びの指導ができるスタッフを育てている。
「お金を投資してきたインストラクターになった人ばかりだと自分が持っているノウハウだけを提供する閉鎖的な仕組みになってしまう。海の遊びは、波乗りばかりじゃない。シーカヤック、ビーチバレー、サッカーなどのスポーツから、ヨガなどのリラクゼーション、アートや読書まで、さまざまです。だから、ビーチクラブの参加者には、何できるかを登録してもらう。海の楽しみ方を教えたり、運営できる人材の育成が重要です」
シーズン以外は閑散としてしまう海沿い地域の活性化と雇用にも心を配る。ホームグラウンドでもある逗子では、"逗子都民リターン・プロジェクト"を展開中だ。
「逗子に暮らしながら東京に働きに出ている人たちを"逗子都民"と呼んでいるんですが、そうした人たちにビーチクラブのスタッフとして参加してもらいたい。特に、定年を迎えた人たちに、まだまだ活躍できる元気な人たちが多いんです。海沿いに住んでいる地域の人たちが、遊びのノウハウを持てば観光として成り立つし、雇用も生み出せる。世界を見渡せば、ビーチには必ず地域に根ざしたコミュニティがあるんです。日本のビーチが本当の意味での通年リゾート地になれば、魚や磯が臭いといった海の自然を知らないで、海のイメージだけで定住してしまう人ではなくて、海に理解ある人々が定住していくでしょう」
"海おやじ"が伝えたいこと
魅力的な観光地にしていくために、海をきれいにすることを学ぶ環境学習もプロジェクトの柱のひとつだ。
「ビーチクラブでは、ビーチクリーンではなく、ビーチコーミングと言って、遊び感覚でゴミのルーツを探るんです。最初に、遊ぶエリアに落ちているものを拾います。それを集めて、海岸にあって欲しいものと、あって欲しくないものを分けてもらう。拾ったゴミについて、どこから来たか解説するんです。たとえば、ペットボトルのキャップひとつでも、よく見ると傷がついているものがある。それは、道路で捨てられて車のタイヤで跳ね飛ばされ、雨水によって側溝に落ちて、川から海に流されて来たのではないかと考える。相模湾の海のゴミの80%は川から流れてくると言われていることを伝え、自分の家に帰った時の行動につながるようにしています」
出前ビーチクラブも盛んだ。キャラバンを組んで1ヵ月かけて各地のビーチを回っている。
「移動遊園地みたいなプロジェクトですが、千葉など各地の海岸でも子どもたちが50人くらい来るようになりました。9月からは伊豆の下田でも始まります。子どものうちから海の楽しみ方を知ることができれば、本当のリゾートが日本に定着するんじゃないでしょうか」
井坂さんは、ビーチ・マリンスポーツ評論家でもあるが、現在の肩書きは、「"海おやじ"です」と笑う。
「海のことを伝える人材が少なすぎるだから、ずっと海のことをやってきた自ら伝えなくてはいけないし、もっと多くの海の好きな方に協力してもらいたい。海に関わっているうちに、砂のことひとつとっても、こんなに大事なものだったんだという思いが強くなりました。元々、人間は自然に勝てっこない。せいぜい、一生かけて"知る"ことができるかどうかです。昔、日本のあちこちにいた世話好きなおっさんでいいんです。次世代の子どもたちに伝えなければという、大人としての責任です」
いよいよ、これからが海が楽しい季節ということで、ビーチクラブでは楽しい海遊びが目白押しだ。今年まだ海に行っていない人は、残暑の街から抜け出して、ぜひ近場のビーチへ足を運んでほしい。それが、日本の海が変わるための最初の一歩なのだから。
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