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映画『パチャママの贈りもの』を監督した
松下俊文さんにお話を伺いました。
取材・文:温野 まき 撮影:黒須 一彦
松下 俊文 (まつしたとしふみ)さん
1950年生まれ。兵庫県加古川市生まれ。NY在住。同志社大学法学部を卒業後、松竹京都撮影所で、助監督、制作として勤務。29歳で渡米。TULANE、NYUで学んだ後、NYの日本語テレビ局エンテル入社。プロデューサー業務を経て独立し、CMやドキュメンタリー番組を中心に制作。2001年9月11日の同時多発テロを目の当たりにし、ボリビアに向かう。ウユニ塩湖で、同地を舞台にした映画の制作を決意。NYとボリビアを行き来し、6年を費やして、初の長編作品となるドキュフィクション『パチャママの贈りもの』を完成させた。 12月19日、東京・ユーロスペースを皮切りに全国で上映される。
9.11を目の当たりにして
標高3700メートル。空と地平線しか見えない、見渡す限り真っ白な大地。南米ボリビアにあるウユニ塩湖は、東西約250キロメートル、南北約100キロメートルにも及び、面積は琵琶湖の12倍、四国の半分にあたるという。
長年ニューヨークに住み、日本人向けの放送局でCMやドキュメンタリー番組を制作する仕事をしていた松下俊文さんが、初めてその白い大地を訪れたのは、2001年11月のことだった。
「大地に立つと、アンデスの風が体を通り抜けていくんです。空を見上げるように、ぐるっと頭を回したら、何かがクリアになっていくような気がしました。もう1回、さらにもう1回...と、10回頭を回したときに、"ここで映画を撮るんだ"という思いが急に降ってきたんです」
その2ヵ月ほど前、世界を震撼させた9.11事件を目の当たりにした。
「あの日、遅く起きて散歩に行ったら、大勢の人がわーってこっちにやって来るんです。聞けば、飛行機が落ちたっていうから、また、ヘリコプターでも落ちたんじゃないかと。そしたら、アタック、アタックって言っている。自分の住んでいるアパートメントの屋上に行ってみると、2つ目のビルが崩れ落ちかけていた。ワールドトレードセンターまで、歩いて25分くらいのところでしたから、目の前でビルが崩れていくんです。急いで小さいカメラとプレスカード(報道許可書)を持って最前線まで行って撮影しました。報道番組もやってましたから、マスコミ用の許可書を持っているわけです。ニューヨークの日本人の人々に情報を伝える一方で、領事館の緊急対策本部に行って、邦人の行方不明者の情報収集に協力しました。でも、ものすごく悲惨な出来事のはずなのに、事件が起きてすぐのときは涙が出なかった。自分は涙腺が無いのかなって」
あまりにもショックなことが起きると人は涙さえ出ないというが、目前で起きたワールドトレードセンターの事件は、まさにそんな感じだったのかもしれない。まして、報道に関わった松下さんにとっては、事件直後は、この出来事を咀嚼する時間も心の余裕もなかったことだろう。
「ところが、何日か経って、死んだ人の数がだんだん明らかになって、ユニオンスクエアでロウソクが灯されたりして...。ちょうど、自分が制作していた番組の仕事が終わる時期と重なったということもあって、急に気持ちが落ち込んできた。いままでの人生について考えてしまって、ワールドセンターの崩壊とともに、何もかも終わってしまったような気持ちで。それで、ユニオンスクエアのベンチに座っていたら、どこかのお兄ちゃんが来て、チラシを渡して言うんです。"ここに行けば大丈夫だよ、バスルームも寝るところもある"って(笑)。そのくらい疲れていたんですね」
そして、突如思い立って向かったのは、南米のボリビアだった。
撮り始めて、結果的に6年かかった
「以前、番組で訪れたボリビアのタリハという町で、ウユニ塩湖のことを聞いたのが、頭に引っかかっていました。そうだ、行こう!って。車で湖の真ん中まで行って、塩の大地に立ったんです」
映画『パチャママの贈りもの』が産声を上げた瞬間だった。
「そのときは、ストーリーは何も頭になくて、ジオグラフィック的に、ここを撮りたい、アンデスの風を撮りたいと思ったんです。しばらく、滞在するうちに、日々の暮らしを営む人々を描いて、新藤兼人さんの『裸の島』みたいな淡々とした映画にしたいという構想も生まれてきました。そうするうちに、だんだんわくわくしてきた」
2001年から2002年にかけての一年間で、シナリオハンティング、ロケーションハンティング、キャスティングを行い、NYに帰ってシナリオに取り組んだ。結果的に、制作に6年を費やし、監督、撮影、脚本のすべてを一人で手がけた。
「自分のプロダクションもあるし、スタッフもいましたけど、自分一人で知らない土地でゼロからやりたかったんです。29歳でNYに来て、皿洗いから始めたので、50歳でまた白紙に戻したかった。だから、制作中は、仕事場のドアに"ZERO"って書いて貼っておいたんです。時間、お金、スポンサーのことなど何も考えないでつくりました。いろんな映画祭に出品しているんですが、監督同士で話すと、10年くらいかけて撮っている人もいて、海外の映画制作では珍しいことではないんです。でも、日本の映画産業では難しい。だから、この映画は、日本の映画史上、最も自由な映画づくりをやったという自負はあります」
もともとエンターテイメント的な映画にまったく興味がないと言い切る松下さん。この映画で描きたかったのは、日常の生活そのものだった。
「暮らしというのは、毎日が同じことの繰り返しです。その平凡さの中に、"生きる本質"がある。でも、映画はドラマを求める。僕は、もっと基本的なことを撮りたかったんです。しあわせの原点、家族の絆、村落の共同体。それをドキュメンタリーじゃなくて、ドキュメンタリーに近いフィクションで描く、ドキフィクションです」
グローバル化によって消え去ろうとしているもの
物語は、先住民ケチュアの少年コンドリと父による塩キャラバンの道中が主軸になっている。塩キャラバンとは、ウユニ塩湖で採掘された塩の塊をリャマの背中に乗せて、アンデスの村々に届ける3カ月に渡る旅のこと。そこに描かれているのは、物々交換をする人々の姿だ。
「文化人類学の草分けとも言われる、宮本常一の『塩の道』という本を読むと、かつては日本にも塩を運ぶ道があったことがわかります。だから、塩尻、塩竈、塩谷...と、塩のつく地名もたくさんある。塩との物々交換が行われていた時代は、収穫物を喜ぶ心、その土地固有の価値を認め合う心、隣人と助け合う心があった。アンデスの農耕共同体には、いまでも助け合いの構造がある。単なる気持ちだけの問題じゃなくて、そうしていかなくては生きていけないからです」
もうひとつ、この映画の中で印象的なのが、少年の目を通して描かれる、精霊や神、悪魔といった目に見えない存在。自然、森羅万象への感謝や畏怖も重要なテーマのひとつになっているように思える。映画のタイトルでもある"パチャママ"は、先住民の言葉で、"母なる大地"という意味だ。その一方で、この大地から地道な手作業で塩を採掘して、キャラバンで届けるという"非効率さ"は、車やお金に象徴される資本主義、物質至上主義、効率化、グローバル化と共に消え去ろうとしている。
「先進国の人にはわかりずらいことですが、僕は、効率よくたくさん塩を採ればいいとは思わない。確かに、ボリビアは、国内総生産、国民総所得という意味では、南米の最貧国のひとつです。だから、この映画を観た人は、"貧しくとも豊かな暮らし"と言うかもしれないが、そもそも貧しさは、比較によって生まれてくる」
その"比較"をもたらすのが、メディアでもある。
先住民政府によって、自然との共生を始めたボリビア
「グローバリゼーションの波はアンデス高地の小さな村へも押し寄せて来ています。僕たちが行くと、電気引いてくれ、水道引いてくれ...となる。電気が引かれるとテレビが来る。それを若い人が見て憧れ、アルゼンチンやチリに行く、都市と同化できないながらも、お金を貯めて帰って来る。"ケチュア語をしゃべってもいい仕事には就けない"という情報が広まる。この映画で描かれている村落共同体も徐々に変わりつつあります。ただ、希望もある。先住民による政府ができて、自然と共生したかたちで国を運営していこうという努力が始まっているからです」
16世紀のスペインによる植民地化以降、"略奪された大地"と呼ばれた南米にあって、ボリビアも例外ではなかった。先住民の人口が、インカ時代の12%にまで激減した時代もあったという。独立と内戦、軍事社会主義を経て2006年に、南米大陸で2目、ボリビアでは初となる先住民出身の大統領が誕生した。
「ボリビアは、天然ガスや鉱物などの資源が豊富です。その資源を独占して一部の白人が権力を握っていた時代もありましたが、新しい政府によって変わりつつあります。ウユニ塩湖の下には、世界のリチウムの半分があると言われ、電気自動車社会などを見据えて、外国から大量の資本が入ってこようとしています。僕は、本来"パチャママ"を知っている日本人なら、ボリビアの先住民政府と協力して、共生への道を模索できるのではないかと思っているのですが...。便利さと物質的な豊かさだけでものを判断する社会は、困難な時代にきている。僕らがアクションを起こさないと」
いや、日本人こそ世界中から資源を採り尽くし、消費に明け暮れている張本人ではないかという思いが頭をよぎったが、言わなかった。
戦後に、西洋的な価値観に急速に傾倒していった日本に、松下さんの言う「本来"パチャママ"を知っている日本人」は存在するのだろうか。
この映画を観て、考えさせられることは少なくない。
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Osamu Okumura (金曜日, 18 1月 2013 05:25)
エンテルでお会いした奥村です、ご無沙汰しております。ご活躍をお喜び致します。