Facebookページが18を越えたというところで、前回のコラムが終わっていましたね。実際、自分たちの活動のために意見交換するFacebookグループにいたっては、20を越えるような状況までになり、このグループのなかから被災地支援の新しい取り組みが生まれました。飯舘村へのガイガーカウンターの寄贈、福島での放射線能関連事業、仮設住宅に国産材を活用する事業など、すごく活発に動いています。
飯舘村へのガイガーカウンターの寄付は、Facebookセミナーで出会った友人が呼びかけたガイガーカウンターの情報に、シンクタンクの仲間が反応して寄付の実施までにたどり着きました。また、岩手支援に旅だったスタッフは、日々の情報をFacebookのページにアップし、それをエコロジーオンラインのウェブに公開。それを見た北海道のボランティア希望の方との交流が始まり、自然にボランティアをコーディネートすることにつながります。
3・11以前はどのようにソーシャルメディアを活用するかに悩むこともありましたが、被災地の支援が大きなテーマとなった大震災以降、ソーシャルメディアは大車輪の活躍です。それぞれのグループに関わった個人が、地域の境界を越え、企業の壁を越え、世代の枠を越え、見事につながっていきます。ソーシャルメディアというフラットな「地平」に、被災地支援という「御旗」がたったことで、Facebookの様々な機能がひとつに収斂していきました。
福島原発事故では、大手メディアが伝える情報よりも早く、深い情報がTwitterで流れました。そのなかには、怪しい情報も入り込んだわけですが、そうした情報も多くの人に読みとかれることで、自浄されるような光景も目にしました。やはり今回の脅威だったのは、そんなソーシャルメディア的混沌より、後手後手に回る政府、東電の情報公開に感じた「隠蔽体質」でしょう。当然、ソーシャルメディアでは「隠蔽体質」の背後にある力を明らかにする情報がどんどん集積していきます。そして、政・官・業・学・メディアに張り巡らされた利権のネットワークの存在が徐々に明らかになっていきました。変わらないと言われた中東でも同じような状況のなかでいくつかの独裁に終止符が打たれました。日本のソーシャルメディア型市民運動がターゲットとするのはこの利権ネットワークの分断であることは間違いありません。今後も大きなうねりが続くことでしょう。
こうした変化は、企業のCSRの世界でも、大きくブランドを変革する可能性を持っています。マーケティングの神様フィリップ・コトラーが「マーケティング3.0」で、ソーシャルメディアの到来によって大きくマーケティングの世界が変わったと書いています。ソーシャルメディアの世界において、企業が相手にするのは「消費者」ではなく、社会性をともなった「人間」そのものであると。彼によれば、マーケティングによって消費者志向の商品を生み出す時代は終わり、ソーシャルメディアを通して消費者と協働してブランドをつくっていく企業の姿を伝えています。まさにCSRが企業活動の中核へと進化するのです。今回の現象のなかでこの力をうまく使ったのが孫正義氏でしょう。彼がソーシャルメディアとの出会いで体得したのは市民と一緒にソフトバンクという会社のビジョンを大きく変容させることだったのだと思います。
お~っと、エコロジーオンラインの窮状を語ったつもりが、ソーシャルメディアによって変化し始めた社会の話題へと、移り変わってしまいました。ただ、こんな風にソーシャルメディア社会を俯瞰してみると、エコロジーオンラインが経験して来たことも、一極集中型の社会から、分散型の社会への産みの苦しみであったのかもしれないな~と思えてきます。人も、マネーも、エネルギーも、情報も、企業も、政府も、フラットな地平で、分散し、時に応じて集積し、また分散する。そんな時代が到来したのかもしれません。まあ、そんな変化の前では国のトップが漂流するのは当たり前のことかもしれない。 そして一方、私たちは福島原発の事故によって大きな負の遺産を背負いました。これまた旧来型の統治システムでは解決は不可能な現実を見せつけられ続けています。現場にどう柔軟にアジャストしていけるのか、行政にとっても、企業にとっても、NPOにとっても、個人にとっても、大きく試される時代になったということだと思います。
これをとんでもない社会になったと思うか、新しいシステムが動き始めたと思うかは、みなさんのとらえ方次第だと思います。エコロジーオンラインもこれまでの固定観念を捨て、現場を曇りのない目で見つめて動いてみようと思っています。今後とも拙い取り組みですがサポートをよろしくお願いいたします。
上岡 裕(かみおか ゆたか)
1983年、国際基督教大学卒業。株式会社ソニーミュージック・エンターテインメント(SME)退社後、フリーライターに。2000年3月、環境情報発信を中心とするNPO法人エコロジーオンラインを設立。環境省(Re-Style、環のくらし、エコアクションポイント)、林野庁(木づかい運動)などの政府系国民運動の委員を務め、クラブヴォーバン、音事協の森づくりなど、数多くの協働事業の立ち上げを手がけてきた。田中正造を生んだ栃木県佐野市に生まれ現在も在住。地元の地域活性化をはじめ、全国の事業をサポートしている。昨年末、環境大臣賞を受賞した「そらべあ基金」の立ち上げをプロデュース。3年にわたってライオン株式会社のCSR報告書の第三者委員を務めた。現在は地域活性化や被災地のためのウェブやソーシャルメディアの活用のサポートを精力的に行っている。
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