映画『道~白磁の人~』を観て、“共生”を考える

 かつて、朝鮮の山々を緑に戻すために力を尽くした日本人がいた――。

 

 実在の人物、浅川巧の半生を描いたが映画『道~白磁の人~』が、6月9日から始まった全国ロードショーで、静かな感動を呼んでいる。

 

 浅川巧は、1891年に八ヶ岳の南麓にある山梨県北杜市で生まれた。子どもの頃から自然をこよなく愛した巧は、1914(大正3)年、23歳のときに、勤め先の秋田県大館の営林署を離れて、朝鮮半島の京城(現在のソウル)へ行くことになる。1910(明治43)年から日本に併合されていた韓国で、林業技師として朝鮮の山々を緑に戻す使命を抱いての赴任だった。しかし、そこで見たのは、朝鮮人を蔑視し、日本の風習や価値基準を押し付ける日本人の姿だった。

 


 朝鮮を統治するために設置された日本政府による官庁、朝鮮総督府の林業試験場が勤め先となった巧は、朝鮮人雇員チョンリムと出逢う。チョンリムから朝鮮語を学び、共に山を歩いて語り合ううちに、いつしか二人の友情は深まっていった。山が荒廃したのはロシアや中国が森を伐り開いたためと聞かされていた巧は、実は日本による乱伐が原因と知ってショックを受ける。「この国の山も巧さんの故郷のように緑に戻るでしょうか?」というチョンリムのことばが重く響く。

 

 伐採して燃料にするための植林を目的としていた林業試験場は、早く育つ外来種の育苗を進めていたが、巧の目的は「山をもとの緑の山に戻す」ことだった。そのために、外来種ではなく、発芽が難しい朝鮮五葉松の育苗をチョンリムと始める。

 

(左から)映画「白磁の人」映画製作委員会代表・長坂紘司さん、主演の吉沢悠さん、林野庁長官・皆川芳嗣さん、「高田松原を守る会」会長・鈴木善久さん
(左から)映画「白磁の人」映画製作委員会代表・長坂紘司さん、主演の吉沢悠さん、林野庁長官・皆川芳嗣さん、「高田松原を守る会」会長・鈴木善久さん

 しかし、民族独立を目指す朝鮮人による大規模な独立運動が起こり、総督府の弾圧によって朝鮮人に多くの犠牲者が出るようになると、チョンリムの周囲でも日本人への敵対感情が高まるのだった。

 

 民族と国家の壁が二人の友情を引き裂こうとするが、心を閉ざそうとするチョンリムに、巧は「それでも僕は木を植える。どんなに長い時間がかかろうと、どんなに世の中が憎しみあっても、それでも僕は木を植える」と語りかける。

 映画の題名となっている“白磁”は、朝鮮で使われる庶民の生活に根ざした焼き物で、その素朴さと純粋さを愛した巧は、まさに自身が白磁のような人だったと伝えられている。

 

 そして、40歳という若さで亡くなった巧の棺をかついだのは大勢の韓国人だった。この映画で描かれているのは、国や民族の壁を越える友情だけでなく、“自然に倣う”ことの大切さでもある。巧が、朝鮮五葉松の育苗方法を発見するときに、「大切なのは土だった」という場面がある。山のなかの木々の種子は落ちて自然に発芽することに着目して「露天埋蔵法」という育苗方法を考案するのだ。生涯を通して、朝鮮の禿げ山の4割を緑の山に復活させた一人の日本人の姿は、人も自然も“友”として生きることの尊さ、本当の意味での “共生”の大切さを教えてくれる。

 

「道~白磁の人~」オリジナル 東北復興支援「木のうちわ」
「道~白磁の人~」オリジナル 東北復興支援「木のうちわ」

 また、この映画は、林野庁の推薦作品に選ばれており、上映期間中、「美しい森林づくり推進国民運動フレスト・サポーターズ」とのコラボレーション「東北復興支援キャンペーン 映画のチカラで、森を元気に。」を展開している。

 東日本大震災で失われた1000ヘクタールの海岸林再生のために、東北の間伐材使って被災地で作られた木のうちわなどの販売も行っているので、映画館でぜひチェックしてほしい。

 


取材・文/温野まき

 

『道 ~白磁の人~』公式サイト

http://hakujinohito.com/

 

映画『道 ~白磁の人』×『フォレスト・サポーターズ』東北復興支援キャンペーン「映画のチカラで、森を元気に。」

http://hakujinohito.com/forest/

 

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