“田中正造アースデイ  ひとに夢、地球に愛” 小出裕章氏スペシャルインタビュー(エコピープルスペシャル)

9月29日、栃木県佐野市文化会館で、「アースデイ田中正造 ~ひとに夢、地球に愛を~」が開催されました。田中正造に関する展示や入門講座、アースデイライブ、そしてメインゲストとして、京都大学原子炉実験所助教・小出裕章先生が登壇されました。おかげで来場者が900名に近づく盛大なイベントになりました。小出先生の講演テーマは「正造さんと原子力」です。その講演直前、エコロジーオンラインとしてインタビューをさせていただく貴重な時間をいただきました。

 

▼小出先生は、田中正造を尊敬されていると記事などで知りましたが、具体的にはどのようなところに人間的な魅力を感じられたのでしょう?

 

 正造さんは、真っ直ぐな人だと思います。

 

 私の研究室には、あちこちに正造さんの写真があって、正造さんの人形があって、そんなところで毎日生活しています(笑)。私が大学に入ったのが1968年で、その頃はさまざまな公害問題が起きていました。そのことに関して私は無関心ではいられなかったのですが、調べていくうちに、実は公害問題は正造さんの時代からあったということを知りました。そして正造さんがその問題に全身全霊で取り組んでいたことも知ったのです。

 

 正造さんは自分が死ぬ前に、たくさん集まってくれた人たちに対して言いました。「みんな、正造に同情してくれているけれども、正造の事業に同情してくれる人は誰もいない。俺はうれしくない」と。正造さんは人の生き方を見るのではなく、問題そのものを見なさいと言ったのです。そのことを私はきちっと受け止めて問題を見なければいけない。今の原子力の問題に対してもそのようにみなさんにお伝えしようと思っています。しかし、十分にわかっているつもりであっても、残念ながら私は正造さんを見てしまう(笑)。それほど、とびきり素敵な人がいたということです。正造さんから見たら、「お前なってないな」と怒られるかもしれない(笑)。とにかく、正造さんは私から見ると、とてつもなく大きすぎる人です。私自身、正造さんと対話ができるような生き方ができているとは到底思えない。私はいつも正造さんだったらどうするだろうかということを考え続けているのです。

 

▼小出先生と原子力についてお聞かせください。

 

 私は最初、原子力に夢をもってこの世界に入りましたが、この場に足を踏み入れた後にそれが間違いだったということに気がついたんです。だから、自分で落とし前をつけるしかないと思ったのです。その後は、原子力をやめさせようとして生きてきました。大きな事故が起きる前に何としてもやめさせなければいけないと。ところが残念ながら、私の力など何にもならないまま、福島の事故が起きました。私は原子力に足を踏み入れてしまって40数年経ちますけれども、私がやりたかった願いは、とうとう叶わなかった。だから、私の人生はもうすべて否定されたと言っても過言ではない。そういう状態になってしまっているわけです。

 

 事実として、すでに起きてしまった事故があって、その現実から私が目をそむけたって、現実が消えてくれるわけではない。その場所で生きるしかないわけです。私は今この現実のなかで、自分が何ができるかということを考え、やはり残りの人生を生きるしかないと思っています。

 

 繰り返しになりますが、私のやりたいことは、原子力をとにかく一刻でも早くやめさせたい。福島の事故が起きて、膨大な汚染が広がり、そういうところに、人々が、子どもたちが住んでいるわけです。特に子どもたちの被ばくをどうすれば減らすことができるのかということに私の人生を使いたいと思います。

 

 一方、ここまできても、原子力を進めてきた人たちは全く懲りていないし、全く無傷です。誰一人として処罰されない。普通に生き延びてしまっている。次に政権が変わると、またどんどん、原子力をやるというような動きが大きくなっていくと私は思います。それに抵抗して、少しでもやめさせる方向に私は力を尽くしたい。そして、東電にとことん責任を取らせたいと思っているのです。

 

▼今の福島の状況について、小出先生が思っていることをお聞かせください。

 

 福島の原発事故が起きて明らかになったこと、それはつまり原子力のあり様というのが、百年前に正造さんが戦った足尾鉱毒問題と全く同じ構図だということです。正造さんの時代には、渡良瀬流域で本当に命を奪われるような人たちがいたわけです。押し出しも、暴力行為も含めて、戦わざるを得なかった。谷中村のように水底に沈められ、強制収用法をかけられ、土地も家も引き倒される人が大勢いたんです。今の福島もまさに同じです。事故が起きて放射能がまき散らされて住む家すら奪われたという人たちがたくさんいるわけです。汚染されていて本当は逃げなければいけないはずのところに置き去りにされてしまっている人々がいるのです。そして未だに苦しめら続けている。そういう現実があるということをまずはみなさんにお伝えしたいのです。

 

▼私たち一般市民はこれから何をしていけばいいのでしょうか?

 

 さまざまだと思います。都会では、電気が足りなくなるとイヤだから原発が必要だと言っている人たちが未だにいるのです。それぞれに課題があるし、一つではないと思います。みんな、自分の居場所で地に足をつけて自分の戦いをやるしかない。正造さんもまさにそう言っていたんだと思うんです。常に課題を見る。正造が取り組んだ事業を見ろと言っているわけだし、何が起きているかをちゃんと見て、それぞれがやれと。いろんなアプローチをしなければだめです。一色の運動はたぶん、成り立たない。現実にある問題そのものにみんなが向き合わなければ乗り越えられないと正造さんが教えてくれている。今ある問題にそれぞれの人が向き合うことが必要だと思います。

 

 私たちの世代がこんなひどい社会を作り、それを未来の子どもたちに犠牲だけを押し付けていくことになりました。原発自身をやめるために生活レベルを落とす必要はないと思いますが、これから生き延びようとするなら、エネルギー消費を現在の4割くらいに落とした生活をするしかないと私は思っています。

 

▼国が言うように、低い放射能なら大丈夫なのでしょうか?

 

 放射能は、どんなに微量でも危険です。人々は恐怖を維持することができません。なんとか忘れたい、本当は危険でも安全だと思いたい、それが人間というものです。「これが危険だ」というと周りから嫌がられる。怒られる。でも危険なのは本当なのです。放射能を無毒化できるというような話をお聞きになるかもしれませんが、放射能は消すことはできません。その研究はできるかもしれませんが、毒を消すためにはさらに別な毒ができてしまう。そして、「除染」という言葉がありますが、「除染」はできません。「移染」しかできないのです。当然、子どもを守るために「移染」をしなければいけない。大人はあきらめてください。子どもには責任がないのです。

 

 放射能と戦っても勝てません。放射能は無敵です。戦うとすれば国です。行政です。子どもたちを被ばくさせないように、彼らを動かすことが、今の私たちに課せられている仕事なのです。

 

▼原発以外の電力について考えていらっしゃることを教えてください。

 

 一人ひとりが好きな会社から電力を買える社会に必ずなると思います。そのためにはみなさんの運動も必要だし、政治の場での活動も必要だと思います。

 

 ただ、大変申し訳ないのですけれども、私は未来のエネルギー源をどうしようかということに興味がないのです。私はひたすら原子力をやめさせたい。そのことにだけ興味があって、私の力はすべてそこに注ごうと思っているのです。「脱原発」という言葉がありますが、私は「脱原発」じゃないんです。私は「反原発」なんです。原子力というそのものに、とにかく反対してそれをやめさせたい、それだけなんです。その先の社会に関してはみなさんで考えてください。

 

「反原発」と「脱原発」が敵対するとは思っていませんが、私は「反原発」以外に私の力を使う気もないし、そういう余力すらないのです。今行われている猛烈なひどいことを、とにかくやめさせなければいけない。こんな道があるから、原発をやめられるというんじゃないんです。何の道がなくても原発はやめなきゃいけない。私はそれをやりますので、その先のエネルギーを作り出したり、仕組みを作ることは、どうかみなさんでがんばってください。

 

▼原発に反対する人が増えて、逆に、原発事故を収束させる人が足りなくなってしまうのではないかと不安になります。いかがでしょう?

 

 研究者はもちろん必要です。私は原子力というものが夢のエネルギーだと思って自分の人生を、その夢にかけようと思って原子力の場に来ました。1968年当時、日本でも世界でも原子力の平和利用にうかれ、みんなが原子力に夢を持っていた。自分のような若い人たちが原子力に集まってくる時代でもあったんです。しかし、そういう時代はとっくに終わりました。私が大学に行っている時には、北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州、7つの国立大学すべてに原子力工学科とか原子核工学科があった。それが、とても夢を託せるものではないとわかってきた20年ほど前から徐々になくなり、今ではすべてなくなってしまったのです。原子力を進めようとしている人たちは、そのことにものすごい危機を感じた。そのため、文部科学省などは、原子力工学科などを作れば、膨大な補助金をやるぞといって誘導しようとしている。でも、学生が来なければ大学も成り立ちません。結局、どこの大学も引き受けられない。逆に、福井大学とか福井工業大学とか、いわゆる原子力発電所の立地県で、それで生きるしかないと思っている所がそうした取り組みを始めています。でも基本的には、もう専門家は育たない。それはものすごく困るのです。

 

 いま、事故が起こり、その後始末、そして作ってしまった原発を廃炉にする、あるいは生み出してしまった「死の灰」=核分裂生成物へのこれからの対処など、どうしてもやらなければいけない仕事がたくさんあります。そのための専門家というのは私も必要だと思います。私は夢を持ってこの学問を選びましたが、私たちの世代がしでかした不始末の尻拭いに来てくれる若い人がいるのだろうかと考えるととても不安です。負の遺産のおもりのために人生をかけてくれる若者がいるのかどうか。でも、必ず必要です。必要だということを多くの人がもっと知らなければいけないし、本当に若い人がそれを理解してきてほしいと願っています。

 

取材・文/上岡七生美

写真/小林伸司

小出裕章(こいでひろあき)さん

1949年 東京生まれ。

1968年 原子力の平和利用に夢を抱いて東北大学工学部原子核工学科に入学。

1970年 女川での反原発集会への参加を機に、原発をやめさせるために原子力の研究を続けることを決意。

1974年 東北大学大学院工学研究科修士課程修了(原子核工学)。専門は放射線計測、原子力安全。

現在は京都大学原子炉実験所助教。

 

昨年の3.11東電福島原発事故以降は、メディアの取材のほか各地の反原発集会での講演など、超多忙な日々が続いている。著書に『隠される原子力・核の真実ー原子力専門家が原発に反対するわけ』(創史社)、『放射能汚染の現実を超えて』(河出書房新社)、『原発のウソ』(扶桑社)、『原発はいらない』(幻冬社)などがある。

***インタビューを終えて***

 今回、初めて小出先生にお会いしました。とても背が高く、笑顔が素敵で、誠実な方という印象を受けました。小出先生はご謙遜されるかもしれませんが、尊敬されている田中正造さんのように真っ直ぐな方でした。夢を持って足を踏み入れた原子力の世界に裏切られ、大事故が起こりました。人生をかけた努力が踏みにじられた悲しみ、怒り、想像を超えた苦しみを経て、それでも原発をやめさせるため、そして子どもたちを守るために、自分を奮い立たせている気迫を感じました。

 

 それぞれの人がそれぞれの場で、あきらめずに、できることを一つひとつやっていくことが重要な事なんですね。短い時間のインタビューでしたが、とても中身の濃いお話をうかがえました。小出先生、ありがとうございました。(上岡七生美)

 

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コメント: 4
  • #1

    広川健二 (火曜日, 16 10月 2012 04:31)

    私も長期的には原子力にたよらないエネルギー政策が必要だと思っていますが、小出氏にまつわるうさんくささにはほとほとうんざりさせられています。氏を有難がる方達の知性を疑います。

  • #2

    モリ (火曜日, 16 10月 2012 18:39)

    ひどい文章ですね。放射能はどれだけ微量でも危険?この地球に放射能のないところなんて無いですよ。そんな常識も知らずによく科学者なんて言ってられますね。

  • #3

    がんち (日曜日, 21 10月 2012 00:38)

    制御不能に陥った原発をコントロールできる人は、この地球上には誰一人として居ない。
    また、全てのリスクを想定することも不可能に近い。
    ひとたび大きな事故を起こせば、その被害・危害は地球規模の膨大なものになる。
    しかも深い悲しみと莫大なコストを伴いながら気が遠くなるくらい長い期間に及ぶ。
    そして人類は、原子力を自在に操れるほどの技術を持ちあわせていない。

    このようなことが事実だとすれば、
    原発事故を起こさない最良の方法は、原発が存在しないことです。
    無ければ、その事故は起こりようがないものね。
    こんな単純な発想が、持続可能な生活につながるような気がします。
    原発廃止に伴う様々な課題にこそ、英知を傾けましょうよ。

    この講演会では、ひとつの希望を感じました。
    小出先生のような方が居られることは、たいへん心強く思います。

  • #4

    通りすがり (土曜日, 06 7月 2013 12:10)

    誰もが原発の危険性に疑いを持たなかった早期から,原発の危険性を見抜いた小出先生の眼力に敬服です.

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