とりもどそう自然の力 発酵食が世界を救う!

 梅雨空が続く7月の昼下がり、キムチ名人と言われる崔誠恩さんの事務所を訪ねた。迎えてくれた崔さんはやさしく微笑み、「夏はこれが最高!」と、煎った大粒トウモロコシのお茶をすすめてくれた。香ばしいトウモロコシ茶にはたっぷりのビタミンAが入っているので肌をきれいにし、更に利尿作用があるので夏にはピッタリだ。ほどよく冷えたお茶を飲みながら、とうもろこしのひげ茶に話題が移っていく。もともと漢方の薬だったものが、5,6年前からお茶として販売され始めたのだそうだ。でも、崔さんはひげ茶を買わない。「スーパーで皆さんが捨てて行ったひげと皮をもらって1、2日干して煮出せば簡単に作れます。薄い皮も一緒に入れれば甘くなりますよ~。ただ、お店の人が不思議そうな顔をするのに負けない勇気が必要ですけど(笑)」崔さんとの食をめぐる対話はこんな風にやわらかく進んでいく。

取材・文 / ソーシャルエコロジー研究所

写真 / 小林伸司

崔 誠恩(チェ ソンウン)

1982年2月ソウル大学校農科大学卒業。2006年3月ソウル大学院博士課程入学(発酵食品化学)韓国飲食博覧会韓国国際料理競演大会等、数々の大会等での表彰。長い歴史をもつ韓国伝統食品製造者として健康第一の食品作りを目指すことを理念としている。現在はJKフード株式会社企画室長。有限会社崔さんのキムチ代表。在日キムチ文化研究所所長。

崔さんのキムチ

来日30年、発酵食品で日韓をつなぐ

「この小さな工房では少量のキムチや韓国の調味料などを作っています。韓国の釜山では現地の山を整備して共同で工場を作りました。白菜は冷蔵庫に入れておくと乾燥してしまう。でも、山の中は温度変化が少なく16~17度をずっと保ってくれます。そこに自然の蔵のようなものを作って保管しています。大量に作る白菜キムチやチョンガキムチは釜山で作りますが、極味キムチや水キムチ、アスパラ、セロリキムチなどはここで作っています」

 来日して30年。日本国内で「崔さんのキムチ」というブランドをつくり、キムチや韓国調味料の製造販売をするだけでなく、韓国大使館のイベントや国際的な展示会など、キムチについての取り纏めを依頼されるようになった。日本のレストランや企業が企画する韓国料理や商品の開発に関してのコンサルティングもする。

その一方で、地方の町おこしも手伝うし、東日本大震災の時には炊き出しにもすぐに飛んで行った。困っている人を放っておけない弱者の強い味方なのだ。

 崔さんは15年ほど前、長野県川上村の町おこしの仕事をした。当時、規格外の野菜は農協には出荷できず、売られることなかった。10トン出荷するうちの1トンは捨てなければいけない。それはもったいないということで漬物にすることを頼まれた。それがセロリキムチの始まりだ。韓国風に赤くせず、日本式のセロリ漬物として今も売られていている。


「アスパラも捨てられるものを漬物にしました。農家の人にとって野菜は子どもと同じ。大事に育てて朝の3時に収穫したアスパラを規格外というだけで捨てなければいけない。太いものは甘みがあって美味しいのに。本当に涙が出るくらい悲しいと」

 毎週土曜日、東京青山の国連大学前でマルシェが実施される。当時、崔さんが指導した農家の方が今も参加して漬物を売っている。10年間、アスパラキムチを売り続けたら、今ではすごく売れる人気商品になった。捨てられていたアスパラが「発酵」という技術によってよみがえったのだ。 

「アスパラキムチは、さっと茹でてあるので日持ちします。一か月ほどたって茶色になってきたものを茹でたパスタと和えてバターを少し入れて食べるとすごく美味しい。酸味をバターがカバーしてさらにコクもだしてくれますからね」

 崔さんの食をめぐるお話には素材を美味しくいただくヒントが洋の東西を超えて織り込まれていく。その話を聞いている人たちはどんどん巻き込まれ、それぞれの頭のなかが美味しそうな食べ物で満たされ、平和な気分になってくる。

食べる人への愛が基本! 韓国宮廷料理で育つ

崔さんの母方の祖母(ハルモニ)は、宮廷近くにいて王様が食べる料理の指導をしていた。いわば宮廷の栄養士のような仕事だ。毎日、王様の顔色や様子、便を見て、熱がある時には緑豆を出しなさいとか、お腹の調子が悪い時には、きゅうりやナスは出さないでくださいとか具体的な食事の指示をする役割だった。

「わたしのハルモニがつくってくれたものは、何でも美味しかったです。小さい頃、栗を食べさせてくれましたが、栗も蒸して皮をむいて裏ごしして、はちみつと松の実を砕いて入れ、また栗の形にして私に出してくれました。成長して栄養学を勉強したら、栗は栄養価が高いのですが、ちょっと消化が良くない。だから、子ども向けに裏ごしして、脂質が足りないから、松の実を入れたのかもしれないと気づきました。どうしてハルモニがそれを知っていたのかわからない。ハルモニの知恵だったのだと思います」

 子どもの頃に食べた味は一生忘れない。ハルモニが丁寧につくったカラダにいいおやつや料理を食べて育った彼女だからこそ、味覚が研ぎ澄まされているのかもしれない。日本人になじみが深くなった焼肉も、宮廷では違った食べ方をされていた。素材にも、カラダにも、やさしい食べ方だ。

「宮廷時代から韓国で食べられていた本当の焼肉は厚みがありました。最初に塩とごま油で味付けしたものを焼いて、水に入れて油を落として、もう一度ヤンニョン醤(韓国で使われる万能タレ)を塗って焼いて食べる。王様はあまり動きませんから、油の多いもの、辛い物などはお出ししなかった。この食べ方だとさっぱりして、味がしみて噛めば噛むほど肉の味がして美味しい。今の焼肉は肉の味ではなくヤンニョン醤の味になってしまった」

発酵を学ぶために日本と韓国を往復する日々

 キムチの研究を続けるうちに奥深い「発酵」の世界に魅力を感じた彼女はソウル大学の大学院に入学する。日本と韓国を往復して、大学院の授業に参加した。国境を越えてまで学び取ろうとした「発酵」の恵み。発酵食品がどんな風にカラダにいいのか崔さんに聞いてみた。

「お腹の中で食べ物を消化するということは、良くも悪くも腐るということなのです。だから、必ず悪いものもできてくる。ただ、発酵食品があると、いろいろな菌が作用して悪いものを少なくしてくれる。そして発酵食品にたくさん含まれる乳酸菌がカラダに入ると腸の繊毛運動が活発になり、腸の調子を整えてくれ、便秘も治ります。定食屋で出てくる漬物は90g程度。毎日、そのくらいを目安にキムチや発酵食品を食べていれば大丈夫です」

 実際に崔さんの生家には10年熟成した醤油があり、子どもの頃、お腹の調子が悪い時にはクスリとして2、3滴なめさせられた。10年も経った醤油にはたくさんのアミノ酸と強い乳酸菌が入っていて、それが腸を正常に戻してくれたのだ。

普通の家庭で醤油を10年も熟成させるのは至難の業。それに代わるものとして崔さんが広めようとしているのが水キムチだ。

「病院食に水キムチを入れて欲しい。乳酸菌をたくさん含んだ水キムチでお腹の調子を整えられるのに、なぜ便秘薬を使うのだろう。いつも不思議に思っています。もちろん韓国の病院では入院患者に水キムチが出されています。乳酸菌が入ると腸が活発に動きますので、特に胃や腸が悪い人とか、手術後の人には出せません。でも、それ以外の小児科や、すべての人に水キムチは出されています。日本でも便秘薬ではなく、水キムチを食べて欲しい。キムチ以外にも乳酸菌の商品は売っていますが、ほとんどが空気を好む好気性のもの。キムチは嫌気性の乳酸菌ですから、空気がない腸の中で一番適した乳酸菌と言えます」

 病院だけでなく、介護施設や保育園、すべての人に水キムチを食べてもらいたいと訴える崔さん。日本の食べもので水キムチに一番近いのは何かと聞くと古漬けだという答えが返って来た。古漬けを水に入れて食べれば水キムチになるという。そろそろ日本も古漬け文化を取り戻す時期なのかもしれない。 

 崔さんがこだわる発酵食品は古くから世界中で大事にされてきた。フランスでも発酵食品は「古い友達」と呼ばれているという。当然、韓国でも発酵食品が食卓にあがらない日はない。韓国には発酵食品に関してこんな諺だって残されているのだ。

<発酵食品が持つ5つの心>

1つ、丹心 「自分の味を失くさない。どこかに必ず残っている」

2つ、恒心 「長く置いても腐らずに食べられる。味が変わらない」

3つ、佛心 「料理のよくないものを消して守ってくれる」

4つ、善心 「味を良くする。まろやかにする」

5つ、和心 「どんな材料とも合う」

日本と韓国との出会いから生まれた自然の恵み

「最後に私が一番自信を持っているキムチについてお話します。日本の漬物は塩漬けの一次発酵ですが、キムチは塩漬けして水を切って、その後にヤンニョンというものを入れて二次発酵させる漬物です。キムチは昔からありましたが、昔は日本のように野菜などを塩漬けしたり、醤油漬けしたりしたものを、キムチと呼んでいたようです。赤く辛くなったのは260年くらい前に日本から唐辛子が入ってきてから。白菜も日本の種が入ってきて今のキムチになりました。韓国の在来の白菜は小さくて広がっていた。白菜キムチには日本から入ってきた白菜の方が向いていたのです」

 日本でも一般的な食品となったキムチだが、そのきっかけは1988年のソウルオリンピックにさかのぼる。オリンピック開催が決まった1980年頃から、カットして容器に入れたキムチの販売が始まり、キムチが商品として一般に広がったのだ。それまでの韓国ではキムチは家庭でつくるものであって、スーパーで購入するものではなかった。日本の影響でスーパーでキムチが販売されるようになる。こうして日本と韓国が影響しあいながら、国境を越えたキムチの文化がつくられていった。

「本当のキムチを伝えたい。一番おいしいところで発酵を止めて酸味を抑えているものが日本では美味しいキムチと言われています。でも、そうじゃない。味も大事だけど、自然のそのものを楽しむことが重要です。発酵したら今日と明日と一週間後で味が変わる。キムチも生きているっていうことを感じて欲しいんです」

 自然そのものを楽しむことで捨てるものも減らせると崔さんは言う。

「日本では野菜がたくさん捨てられています。韓国では白菜の緑の部分は栄養があるし、大事に使っている。不思議なことに日本でそれをやると、捨てる部分までキムチに入れて重さを増やしている!と怒られる。自然のものは自然に食べて欲しい。韓国では外側の葉っぱを捨てる習慣はありません。なぜならそこに一番栄養があるからです。キャベツの葉っぱなら、それを蒸して柔らかくして味噌を付けてご飯を包んで食べたりします。日本にはそういう文化がないのが本当に残念です」


本当に美味しいものを食べれば戦争もいじめもなくなる!

 とにかく、季節に合わせた食材を自然のままに食べてほしいと呼びかける崔さん。作る人のことを考えて食べ物をもっと大事にして欲しいと強調する。

「自然のものは工場で作るものとは違います。同じ木のリンゴでも甘かったり大きかったり様々じゃないですか。消費者ももっと変わってほしい。完璧な物、人じゃないとダメというのは差別、いじめと同じだと思うのです。ありのままを受け入れて欲しいなと思っています」

 崔さんは、子どもたちが、我慢が苦手になっているのは、発酵食品を食べなくなっているからだと感じている。毎日、誰かがぬか漬けを作ってくれたり、手をかけたものを食べさせてくれたら、誰しもが愛情を感じる。お母さんや家族が自分のためにご飯を作ってくれたり、お弁当を作ってくれたりしている姿を見て育った子はやさしくなるんです。我慢だってできる。

 「発酵食品は人間にとって一番大事なものだと思います。発酵したら、味も変わる、匂いも変わる、栄養分も変わる。腐ってしまったら捨てるしかなくなってしまう。人も同じように化学調味料を使った簡単なものではなく、発酵食品を食べていると深い味になる、深い人間に変わっていくと思うのです」

 本当に美味しいものを食べると誰しもが笑顔になる。世界中の人々が食べることを楽しめるようになれば戦争だってなくせる。インタビューの最後に崔さんはこうつぶやいた。

 地球上で起きる様々な問題の背景には貧しさの問題が存在する。私たち現代人は物質的な貧しさから逃れるために経済的繁栄を選択した。しかし、それと引き換えに自然とともにある手づくりの食を手放し始めている。現代社会の精神的貧しさの原因は、そこにあるのかもしれない。

「崔さんの発酵教室」第一回は9月23日(水)です。

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