愛って一体何でしょう?
愛は見えないのに、なぜ人は愛を語ることができるのでしょうか?
みなさんにとっての愛とはなんですか?
愛について考えてみると、いろいろ疑問がわいてきます。
愛の概念はみんな同じ?
人はなぜ愛を必要とするのでしょう?
地球に愛は必要ですか?
今回は、この世を総括している宇宙(神さま?)のエネルギーを
タロットカードに降ろして、
「愛」について聞いていきたいと思います。
まず、人間が「愛」をどんなふうにとらえているかといえば、
「自分の手で勝ち取るもの。だけど、手にした瞬間、もしかしたら裏切られるかもしれないもの」、
と出てきます。
人間にとっての「愛」とは、ほとほと自分をうんざり、ガッカリ、あるいは怒らせるようなもの、
というイメージの様子。
ほんとうに?!
我々人間にとって「愛」はそんなものに成り果ててしまっているのでしょうか。
なぜそんなことに?と聞いてみたら、
「なぜ人間が、必ず「失望」や「怒り」の方向に愛を持っていくのかという質問か?」
と逆に聞き返されました。
そうだと答えると、
「元々、ほとんどの人間は、他者や外部のことを信頼することができていないため、
必ず裏切られるというシナリオを手に持って(想定して)いて、
それが現れるのを無意識下で求めるから」
と、人間をノックアウトするような答えが返ってきます。
そして、
「自分の外部を信頼しないで愛を求めることは不可能。
それは、愛ではなく、
仮の愛のようなものを作り上げようとしているだけ」
とのこと。
では、本当の愛とは?
「今、起こっていること、今、あることのすべてを、
それが一番良いものだと認めて完全に受け入れること。
その中で癒されること」。
起きている出来事がどんなに不本意だとしても、
それが自分にとっても全体にとっても一番良い形なのだととらえて手を放すこと。
その完全に安心した中で生まれる純粋な気持ち。
それが宇宙が言うところの愛だそうです。
しかし我々人間は、起きている出来事が不本意ならば
そこに執着してしまい、手を放すことができず、ムリヤリにでもそれを修正しようとするでしょう。
だから
「人間にとっての「愛」とは」 =「自分の手で勝ち取るもの、しかし、手にした後は、
もしかしたら裏切られるかもしれないもの」
というように表現されてしまうのか~……。
では、視点を少し変えて、地球には、愛が必要ですか?
と聞いてみました。
その「愛」とは、もちろん、先ほど宇宙が教えてくれた「愛」のことですが。
答えは、
「地球にとって必要というよりも、実のところは、人間が愛の状態を理想としているから、
それを追求していくだろう」
とのことです。
人は、宇宙が言っているような完全にすべてを受け入れる「愛」の状態が一番正しいに違いない、と、どこかでわかっているのだけれども、それを求める過程で、どこかズレてしまい、
自らの首を絞めるかのように苦しくなってしまっている、そう。
愛を手にしたいと焦りすぎ、そのせいで本当の愛ではない、もっと簡単に自分の手でどうにかコントロールできそうなものを愛と呼ぶことにしてしまったようです。
そして、勝手に思い描いた「愛」の状態を目標にし、状況を自ら操作をしていこうとするのだとか。
しかし、誰にも邪魔されないように四六時中、いろいろなところを見張っていなくてはいけないし、
状況が思いどおりにならなければならないほど気持ちが苦しくなり、
結果、「執着」というものになってしまうのだそうです。
そんなふうに、我々は本物の「愛」を回避して、自分の願望と「愛」とを取り違えて、
それを簡単に手に入れようとしているみたいです。
実はそっちのほうが難しいのに。
おまけに、本物の愛ではないから、手に入れることができたとしても、すぐに不幸を感じてしまうのに。
たとえば、
70歳の父親が「娘夫婦と一緒に暮らしたい」、娘がそうしてくれることが、
彼女から自分への愛の証明だと考えていたとします。
それを実現させるために、父親は、マンション購入時の頭金を出してやったり、一生懸命、野菜など作って娘の家に持って行ったり、度々電話などをするかもしれません。
しかし、共働きで忙しい娘夫婦にとっては、それはありがた迷惑でしかないかもしれない。
父親が近づこうとすればするほど、娘夫婦は離れて行ってしまうでしょう。
そうなれば、父親は、
「今までこんなにしてやったのに!」
と今、娘夫婦に対して恨みがましい気持ちになってしまうかもしれません。
あるいは、ムリヤリ父親が圧をかけて一緒に暮らすことが可能になったとしても、
それは誰の愛でもないわけで、父親にとっても娘夫婦にとっても、
毎日が不満の連続になるかもしれない。
けれども逆に、父親が遠くから何も言わなくても、ただ娘夫婦の幸せを願っていたら、
彼らは自然とその愛を感じとるに違いないのです。
そして、父親に直接、愛の証明を与えることはなかったとしても、彼が寂しいときに
側にいてあげることができなかったとしても、娘も父親にずっと愛を送り続けるでしょう。
はっきり形はなかったとしても、そこには愛が確かにあるのです。
人間が「愛」を拒否してしまうのは、自分が本当の意味で自由だ
ということを知らないからなんだそうです。
この恐ろしい現実の中で、どうにか生き抜いていかなくてはいけない、そのための安全を作っておかなくてはいけない、という思い込みがあるから。
だから、何かをするときには見返りを求めてしまいがち。
それが返ってこないときには、苦しくなって、どうにかしようとそこに自分を縛り付けてしまうのだそうです。
だけど、見返りを求めるなんて面倒くさいことをする必要がなかったら?
宇宙は人間に自由を与えているそうなんです。
自分の手でムリヤリ成功を勝ち取ったり、いろいろな難しい策を練ってこの世を渡って行くことは
実はしなくて大丈夫なのだそう。
むしろ逆に、自由に自分を楽しませることをしていたほうが、意識していなくても
その人にピッタリ合う道が自然と開けていくのだそうですよ。
自然の流れに添うだけで簡単に楽に生きていくことができると知らなければ、
「愛も自力で手にいれなくてはいけないもの」
という認識になってしまうそうです。
そして、イライラしているんだって。
つまり、「愛」ってものは、特別な何かという感じではなくて、
人間が思っているよりも、そこらへんじゅうにごろごろたくさんあるってことを
宇宙は言いたいんじゃないでしょうか。
電車から降りて家に帰るまでの道にも、たくさんの愛が転がっているんじゃないかなと思います。
ただ「そのままの状態」を良しとすることが愛なのだそうですから。
たとえば、我々が肉体を持ってこの身体で遊んでいることさえもが愛かもしれない。
R(あーる)
…人間のエネルギーを Tarot カードに降ろして、魂からの原始的な情報を伝える仕事をしています。渋谷Angel Stone(現在は休み中)、多摩センター、電話、Skype、クラブイベントなどにて。電話&Skypeセッションは、毎日当日予約のみ受け付け中。大好評血液型別タロットリーディングもblogにて月1更新していますのでよかったらチェックしてみてくださいね⇨ 【Primitive Code】
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