福島第一原発の事故によって、自分たちが使用している電気について考える人が多くなった。横浜市にある南部市場で働く瀧澤博さんもその一人だ。
家庭に太陽光発電を設置する、仲間と共同発電所をつくる、電気料金を減らすために省エネする、大手電力会社から地域電力に契約を変える・・・、とにかくたくさん方が動き始めた。
そのなかで瀧澤さんが選んだのは、自分が働く卸売市場に太陽光の発電所を設置することだった。
築地か、豊洲か、東京では今、市場の未来について議論が盛り上がっている。市場をめぐる問題は東京だけで起きているわけではない。日本の食卓を支えて来た市場は全国各地でその形を大きく変えようとしている。そのなかで新しい市場のあり方を求めて奮闘する瀧澤さんにお話を聞いた。
瀧澤 博(たきざわ ひろし)
有限会社横浜淡水、マルシェパワー横浜(株)、Vimie.com 代表
1956年生まれ
東海大学海洋学部水産学科卒業後、横浜市中央卸売市場南部市場内の卸売会社に入社。主に輸入冷凍品(エビ・カニ・サケ)の商品開発・国内卸売業務を担当。1994年同じ市場内の仲卸(有)横浜淡水に転職。2005年代表取締役に就任。東日本大震災と福島原発事故をきっかけにマルシェパワー横浜(株)を設立。現在、健康に、環境に、そして生産者にも配慮した「持続可能な新しい時代の市場モデル」を構想中。
取材・文/上岡 裕
写真/瀧澤 優理子、平田 賀彦、上岡 賢
全国各地でメガソーラー建設に対する反対運動が目立つようになってきた。その多くが地元資本とは関係ない企業による開発であったり、地域の景観を破壊するようなものであったりする。
地球温暖化防止のためにも自然エネルギーへの転換は必要だ。だが、それによって景観が破壊され、その収益が地域から出て行ってしまうのでは住民の理解は得られない。その施設をどこに、どんな風に導入するかで、自然エネルギーの評価は大きく変わる。日本の自然エネルギーは今、正念場を迎えているとも言える。
そんな摩擦を起こさなくても、自然エネルギーをすぐにでも導入できる場はまだまだある。もしそこが大量に電気を使っているとしたら、自然エネルギーの「地産地消」という観点からも理想的だ。
今回のエコピープルに登場する瀧澤博さんは『市場』という場が自然エネルギーを生み出すために素晴らしいポテンシャルを持っていることにいち早く気づいた人だ。この春、神奈川県藤沢市の湘南藤沢地方卸売市場の施設の屋上に1.2MWのメガソーラーを完成させ、その利益を自分の働く横浜の市場に還流し、時代にマッチした新しい『市場』に変革しようと考えている。
東日本大震災で気づいた自分の役割
『東日本大震災は自分が市場へ戻るクルマの中で起きました。交差点で止まっていると、クルマが大きく揺れ、電柱が揺れ電線が大きく波打っている。「これはただ事ではない!」と、あわてて市場に戻ると、横浜港でも津波注意報が出ていました。解除されるまでは市場に残りその後帰路へ。しかし国道は大渋滞!鉄道が止まっているので多くに人々が家路に向けて歩いていました。途中で水と食料を買い込んで自宅へたどり着いた時にはすっかり夜。そしてテレビで津波の被害の大きさを知ることになりました。地震、津波、原発事故を目の当たりにして「国家の大参事だ」と感じました。なんと次の日からはぱったりとサカナの注文が入らなくなった。市場での仕事はしばらくお手上げ状態が続きました』
瀧澤さんはウナギ・フグ等を中心に水産物を卸売する有限会社横浜淡水の代表。横浜南部市場に入る水産物の約3割が被災地周辺からのものだった。震災直後は水産物の入荷も約3割減少し、大きな打撃が続いた。それだけではない。海産物を相手にする瀧澤さんにとっては放射能による海洋汚染は死活問題だ。「直ちに健康に影響はない」なんて思えなかった。当たり前に続くと思っていた生業がもう続かないかもしれない。そんな思いが強くなっていった。
『原発の事も、放射能の事も全く知識がなかったので必死に調べました。先ずはガイガーカウンター、高機能マスク、水、とろろ昆布を買い求め、一時は家族の避難も考えました。連絡が取れた被災地の水産業者から本当に必要な物資のリクエストを聞き取り、支援物資をトラックに積んで気仙沼、女川、南三陸町へ。土曜日の深夜、横浜の市場を出発し、約5時間半かけて現地に到着。朝一番で積んできた野菜、米、果物、水などを届けてトンボ帰り。次の日は市場の仕事です。そんな中で痛感したのが自らの力の限界。どんなに苦労しても自分たち支援はほんの一握りの方にしか届きませんでしたから』
そんなある日、仕事で配達中のクルマのラジオで、社会問題をテーマにした映画が市民によって全国に広がっていることを知る。映画の上映会なら仕事が休みの日だけを使うことで自分にも無理なく続けることができる。早速そのプロジェクトを手掛けていたユナイテッドピープルの関根健次さんに会いに行った。
『第四の革命』との出会いが人生を変える
関根さんを知ったことで瀧澤さんに新たな扉が開く。ドイツを中心に自然エネルギーの取り組みを紹介する「第四の革命」と出会ったのだ。
『この映画の中で起業家のイーロン・マスク氏が「人類の未来を左右するものは3つある。それはネットと、再生可能エネルギーへの移行、そして宇宙開発により地球の外に出ることだ」と語っているのを聞き、大きなショックを受けました。「こりゃ大変だ。じっとしてられない!」って。そこでこの映画の全国上映会の神奈川県代表として名乗りをあげました。上映会の当日は予想を上回る120名の方に集まっていただき「一人一人が気付いて行動を起こすことが本当に大切なことだ」と感じました。また、その上映会には大手メーカーで風力発電を手掛けている方も参加していて、その方から海外では映画以上に動いている現実を知らされ、自分が働く横浜南部市場の屋根に太陽光発電を設置して電力の自家消費を考えるようになりました』
瀧澤さんは原発事故を起こした東京電力の電気で上映を行うことに抵抗を感じその後は小さなソーラーパネルとバッテリーを活用して手作りの電気で上映会を続けている。
『「第四の革命」に出会い、自分の中に「発電所を作る」という目標が芽生えました。国ができないなら自分たちでやる。エネルギー革命の当事者になる!と』
襲いかかる数々の障害! 太陽光発電事業が風前の灯に!?
この夏、瀧澤さんはなんとか藤沢の市場でメガソーラーを竣工するまでにこぎつけた。だが、ここに至るまでの道は苦難の連続だった。
『最初は自分の働く横浜市南部市場で地産地消の発電所をつくるつもりでした。ただ、市場というところはとにかく関係者が多い。その人たちの了解をとりつけるだけで長い時間がとられます。実際に調べてみると市場と電力会社との関係は1社と年間一括契約を結ぶことになっている。自分のつくる発電所が電力を供給するとなるとそれを2社と結ぶことになってしまう。そうしたことで嫌がられ、電力の地産地消はあきらめざるを得なくなりました』
発電した全量を売電する方向に切り替えた瀧澤さん、その後も様々な障害に遭遇する。市場の建物を所有する横浜市からは、法律上の規制、建物の強度・耐震性、防水対策などの課題が次々と出され、それらをクリアするのに約半年を費やした。結果、最も大切な「関係者の同意」が後回しとなり、ただでさえ新しいことを取り入れるのが苦手な市場の関係者への説明が案の定難航、その間、太陽光発電の買い取り価格も下がっていった。
『それでも南部市場にこだわっていました。なんとか借りようとした建物も建て替えが迫っていて前に進みそうにない。そのときにプロジェクトに協力してくれた仲間からこの市場のキーマンを口説こうと提案がありました。そこで市場での扱い高も多く、いくつか倉庫を持つ経営者の方に相談してみました。すると南部市場は難しいけれど藤沢の市場に持っている倉庫なら自由が利くよと返事が帰って来た。それでやっと太陽光発電所の設置につながった。そんな彼の存在がなければ発電所はできませんでした。小さな会社の代表として、それまでは自分一人の力で何でもやってきました。でも、今回ばかりは力不足を実感しました。今回、あらためて「仲間の協力の大切さ」を実感しました』
2015年秋、瀧澤さんは日本全国の市場を元気したいという思いでマルシェパワー横浜という株式会社をつくった。
記念すべき最初の発電所がこの「マルシェパワー横浜 藤沢太陽光発電所」。大規模な倉庫の屋上に設置された自然を壊さない1.2MWのメガソーラーだ。
大きな目標を達成した瀧澤さんだがまだまだやりたいことがある。
古くて新しい市場「マルシェ」をつくりたい!
『市場が今、元気を失っている。これまでは野菜、サカナ、花など、市場がマーケットでの価格を決めていました。今ではそれをスーパーが決めるようになりました。そのおかげで市場は倉庫のようになってしまった。そのため、どんどん価格が安くなり、私たちも生産者を守ることができなくなりました』
自分が働く南部市場の再生のため、藤沢の太陽光発電所の収益を活用したい。そう瀧澤さんは考えている。そのカギとなるとは「マルシェ」というコンセプトだ。
『49歳の時、突然の腹痛と高熱に襲われ、救急車で病院に運ばれました。その後約一か月半の入院生活を余儀なくされました。退院した私に妻が本を買ってくれました。「病気にならない生き方(新谷弘実著)」「今の食生活では早死にする(今村光一著)」でした』
これらの本を読んでから瀧澤さんの人生は大きく変わった。それまでの暴飲暴食をあらため、オーガニックな食べ物にも興味を持った。食育インストラクター、予防医学指導士の資格を取り、自分と同じように食生活の乱れから病気になる人たちを何とか救いたいと願い、市場から発信する方法を考えるようになった。
『市場での上映のために食育の映画を探していて「フードインク」や「世界が食べられなくなる日」「遺伝子組み換えルーレット」などの映画に出会いました。そこでファストフードや遺伝子組み換え食品の問題を知りました。まさに市場が社会に問うべき問題だと感じたんです』
その一方、瀧澤さんが働く中央卸売市場も変わらざるを得ない時代に入った。スーパーマーケットの拡大や、冷凍魚の普及などによって、市場を通らない生鮮食品が多くなった。そに加えて地方人口の減少や公共事業の見直しなど、各地の中央卸売市場は大きな転機に立たされている(参考:Wikipedia)。
南部市場も横浜市中央卸売市場との統合が決まった。民間の活動が大きく制限される中央卸売市場の看板を下ろし、自由な活動が行える市場へと変化することになった。その変化をつかんで新しいチャレンジをしたいと瀧澤さんは考えている。
『古くて新しい市場をつくりたい。農家が野菜を持ってくる。漁師がサカナを持ってくる。そこに消費者が集まってくる。小さくてもよい。そんな昔ながらの市場をまず横浜に復活させたい。食べ物も。電気も自然の物が良い。それはお金にならないよという人もいる。でも、海外ではマルシェがしっかりと根付き、消費者も、生産者も、時間と空間を楽しんでいる。安ければ何でも良いという状況を何とか変えたいと思ってます』
昨今、食べるのが面倒くさいという理由で生魚は敬遠されがちだ。若者を中心に料理をしない人たちも増えている。そんな人たちに料理を体験させる場をつくりたいと瀧澤さんはいう。
『和食をテーマにする体験型のテーマパークにしたい。調理をしなくなった人たちのためにダシのとり方、ご飯の炊き方、みそ汁のつくり方などを体験できる場をつくる。寿司づくりを学ぶ寿司アカデミーもいい。最終的に日本の食を和食に戻していけば、人のカラダも免疫力をとり戻して健康になる。まさに元気が出る市場、再生可能な市場。オーガニックスーパー、オーガニックレストラン、オーガニックスイーツがならぶスペースに、理想のマルシェをつくっていきたいです』
そんな夢を現実化するためにオーガニックの世界で有名な海外のシェフとのコラボも視野に入れる瀧澤さん。藤沢のメガソーラーの取り組みがきっかけとなって全国津々浦々にマルシェパワーが広がることを期待したい。