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三宅島の青い海を前にごみゼロを考える。

2005年8月に撮影した旧坪田中学校校庭の写真
2005年8月に撮影した旧坪田中学校校庭の写真

2000年の噴火災害の後、三宅島の島民は4年半、全島避難で島を留守にしていました。

2005年2月に全島避難解除され、少しずつ島民が島に帰ると、使えなくなった家電ゴミが学校のグランドに集められていました。

 

現在の校舎とグランド↓2016年9月撮影
現在の校舎とグランド↓2016年9月撮影

冷蔵庫などは中身の入ったまま、衛生状態も最悪で悪臭も漂い、放置されたまま復興作業と同時に積みあがって処理できない数になっていきました。

 

前平野祐康村長(私が村会議員時代の支援者でもある)が環境大臣だった小池百合子さんに、「このごみを何とかしたい」と相談に伺ったところ、小池百合子さんは面会の部屋に到着すると、メディアと平野村長を前に即答で、4家電と使えなくなったクルマの廃車まで処理・受入れ予算を承諾したという。

 

EOL上岡理事長と
EOL上岡理事長と

その後、数年間をかけて処理をして、きれいになったグランドと校舎は帰島後の島民減少により、廃校となってしまいましたが、2011年の6月にクライミング施設が完成します。

計画当初から関わってもらっている飯山健治さんは、ワールドカップの壁建てやジュニアの監督もしていた方で、埼玉県加須市や千葉県印西市のワールドカップの壁も手がけていました。

2020東京オリンピックの追加種目に決定したスポーツクライミング、その会場として正式に手を挙げた三宅村の施設は公共施設としては国内最大級のクライミング施設として生まれ変わることになりました。

そして島民の多くが利用し、現在は観光客の利用もオープンになり会員数は約5000人(島民人口が約2300人なのに)という素晴らしい施設になった。

※小池都知事は実際に視察にいらして、ボルダリングにチャレンジしてもらいました。

 

ウミガメと一緒に泳げる海岸も数か所あるし、泳がなくても岬や灯台のある場所に行けば、簡単にウミガメと会う事が出来ます。

 

ハワイでは「ウミガメと出会うと幸せになれる」と言われているそうです。日本ではウミガメは竜宮城に連れて行ってくれる昔話がありますよね。

東京都の島でウミガメが産卵に訪れる海岸は大切にしたいと心から思っています。

三宅島は何度も噴火災害にあっても、必ず島民は島に帰る。

ウミガメたちが生まれた場所に戻っていくように、私達も生まれ育った場所に自然と帰っていくものなのかもしれません。

2018年から子育てをするザトウクジラが見られるようになったことも、きっと何か理由があるはず。

今年はそんな環境変化・適応について「普通のカフェのおじさん」がチャレンジしようと思っています。

生まれ育った場所で、たくさんの動物や生き物が身近に感られる場所に今も暮らし、地球の事に目を向けて考えられることは、幸せな事かもしれません。

 

文 / 沖山雄一

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