地球の鼓動を聞け! アースタロット
地球はひとつの生命体である。そう唱えたのはNASAで大気を研究していた化学者のジェームズ・ラヴロックです。ガイア仮説と言われるこの概念はレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿にも見られるものです。もし、地球が生命体であるとするならば自分自身の意志をそなえ、私たちに何らかのメッセージを伝えているのかもしれない。そのメッセージをタロットで読みとってみようというのがこの連載です。さて、地球はどんなメッセージを送りかえしてくれるのでしょう。
2017年
7月
30日
日
<アースタロット>歌のチカラ
3Dで描かれた絵を見ようとした時、
どんなに頑張っても立体で見えないのに、
鼻歌を歌うと
見えなかったはずの絵が
突然くっきりと
浮き上がってくることを発見しました。
歌には何か不思議な秘密があるのかもしれない、
と感じたことを覚えています。
マクロビオティックを広めた久司道夫先生も
1日1回歌を歌いなさいとおっしゃっていたそうです。
エコロジーオンラインでも、
『パーソナル・ソング』という
素晴らしいドキュメンタリー映画を
おすすめしていることですし、
今回は、歌についてタロットに聞いてみましょう。
人間にとって「歌」は、
実態のない、まあ、夢のようなものとして
認識されているかもしれません。
幻想の世界のような。
しかし、歌というものは
実際、人間にかなり強く作用することができるのだそうです。
まず、
人のエネルギーを地球に
しっかりとつなぐ
グラウンディングの力。
そして、それにより、
我々は怖いものがないような
解放された気持ちになり、
グッと心を開くことができるのだそうです。
なぜ歌を歌うだけで、地球とエネルギーが繋がるなんてことができるのか?
聞いてみましたが、
ただそういうことになっている、とのことで、
そこらへんは人間が知る必要はないようです。
「歌を歌うのではなく、聴くだけでも同じ作用が?」
と聞いてみたところ、
それだと参加していることにならないのか、
やや孤立感のようなものが漂い、
波動は上がるが
自分で歌う時ほどには心は開かないとのこと。
地球へのグラウンディング具合もやや弱く、
ポジティブな感じはあるけれども、
何も怖くない、怖がる必要はない、
という解放まではたどりつかないようです。
グラウンディング(地球と結びつく)が
しっかりと行われると、
すべてが自分の味方のように思えて心が開く、、、
ならば歌は、聴くだけではなく一緒に歌うべきでしょう。
世界の全てが自分の味方になるのなら。
それは、恐ろしいと思われているこの重たい現実を
軽~く軽く、そして楽しく生きていくことのできる
武器にさえなると思われます。
個人的なことで恐縮ですが、
私は以前、かなり本気で詩を書いていたことがあります。
どれだけ純粋な言葉で書くことができるか?!
を追求しようとしていました。
しかし、頭の中に色々なことがあるときは、
どんなに純粋な世界を開こうとしても、
グダグダとありふれた言葉で澱んでいる
薄汚い場所を這い回るだけ。
そんな時に、試しに爆音で
プライマルスクリームを聞いてみたところ、
突如、重たい雲を突き抜けるように
純粋な言葉をつかむことができました。
あれは一体なんだったの?
タロットで聞いてみますと、
歌は、人間を下界から引き離すことができるそうです。
下界というのは、
色々なルールに縛られていると
人間が信じているこの世の中、
ということです。
それを信じ込んでシールのようにべったりと
下界にくっついている我々の心を
ひっぱり剥がしてくれるのだそう。
とても簡単に。
あまりにも簡単にそれをやってくれるものだから、
我々は歌というものを
ちょっとナメているところがあるのかもしれないですね。
歌は祈りにも近いんじゃないですか?
と、思いついて聞いてみました。
祈りというよりは、
人間が歌を歌えば、それはなぜか
「み~んなみんな仲間だよ!愛してるよ!」という
パラダイス表明をすることになるのだそうです。
「地球と自分、そしてあらゆるものはひとつなんだね!」
というラヴな想い(波動?)が地球へと伝わって、
地球からも愛が返ってきます。
それは一過性の恋愛ではなく、
永久不滅的な愛の交歓のようなもの。
だから地球は人間にもっと好きなように
歌を歌ってほしいようです。
日本語や何かの言語じゃなくてもよくて、
楽しいパラダイス表明ができるなら
意味不明な言葉を発してもいいくらい、
大胆に、自由に。
そして悲しい時やつらい時も、
ぜひ歌ったらいいそうですよ。
心を広げて全てを受け入れることができるから。
そうしたら、
実は悲しいことなんてなかったとわかるから。
なぜなら、我々は
地球や宇宙に完全に守られた存在なので
傷つくことなど起こりようがないそうなのです。
傷ついたというのは、
私たちの勝手な認識においてだけ。
そうして歌を歌って
地球といつでもつながっていたら、
我々は赤ちゃんのように
安心することができるそうです。
映画『パーソナル・ソング』では、
認知症を患った男性が音楽を聴いて
過去の記憶を取り戻し、こう語っていました。
「(歌は)愛を感じさせてくれる。
世界には音楽が必要なんだ。
美しい音楽を聴いて歌う。
たくさんの愛と夢を感じる。
神が私を祝福してくれたんだ」
(映画『パーソナル・ソング』より引用)
と。
神というのものがほんとうに存在するなら、、
歌を歌うことで
なぜ人間が地球に
愛を送ることができる状態になれるかといえば、
歌うその瞬間に、
私たちは神からの愛を感じているから、
なのかもしれません。
2017年
6月
29日
木
<アースタロット>星はなんでも知っている
今回は、七夕も近いのでロマンチックに。
星が人間に与える影響について聞いてみました。
SNSでもたくさん星占いがシェアされていますから、
きっとみなさんもご自身の星回りについて
目にしていることと思います。
星は人間の人生を左右することができるのでしょうか?
そもそも、人間は星の影響を本当に受けている??
人間は、星の影響を受けているのか?
この世を総括している存在(宇宙? 神様?)に聞くと、
受けている、
と答えが返ってきます。
しかも、
星から影響を受けていることを人間は気に入っている、
と。
星の影響を受けている自己の性質を
自分の性格のようなものだと受け止め、
そこにプライドを持っている、
という感じです。
ー なぜ人は星の影響を受けているのか?
この宇宙において、星は良い仕事をしている、
人間に対して、必要な仕事をしている。
ー ??
その”仕事”とは何?
人間は生まれた時から星の影響を受けることにより、
生きる幅が良い意味で制限される、
とのこと。
「良い意味で生きる幅が制限される」??
最初は意味がわかりませんでした。
次の瞬間ピンときたのは、
星まわりにより各自の使命が与えられている、
という意味ではないかと。
星たちが、人それぞれの性質を作り上げる
と言っても良いのかもしれません。
宇宙の動きと一体化するべく(人間が動くように)
そうなっているようなのです。
宇宙の勝手な都合で、というわけではなく、
人間一人一人に、
魂の資質を十分に探求させ、
発揮させることができるように。
宇宙と人間、両方の
良い循環のためなのだそうですよ。
例えば、
占星術の仕事をされている私のお客様が
親切にも、よく私の星読みをしてくださるのですが、
私という人間の性質は、
一人でいることがとても好きなのだそうです。
しかし、同時に人と接することも大好きなのだとか。
どこにも属さず
一人でタロットリーディングをするなんて仕事は
まさにぴったりなわけで、
それは私の資質だと
自分としては感じているけれど、
星からそのよう(な人生をおくるよう)に
影響を与えられるエリアに
生まれてきたから。
しかも、母親も星の影響を受けて
その時期に私を産むことにした、
とも言えるわけですよね。
イメージとしては、
星からビバビバと密かにビームを当てられ、
ずーっと死ぬまで
星の影響で
新しいことをしたくなったり、
かと思えば体調を崩したり、
突然外国に行きたくなったり、
一人になりたくなったり、
するというようなことなのかな。
生まれ持ったもの、
という言葉をよく聞きますが、
それは、各自の、
それこそ生まれ持った魂の資質に合わせて、
星が、人間の人生の軌道のようなものをつくる
ということかと感じます。
美意識が強い人ならば、
フランスに行って
フラワーアレンジメントの勉強をするとか、
一人で孤独に修行をするような魂の人は、
結婚をしていたけれど、突然それが
自分らしくないことに気づいて離婚するとか、
そいういうことも、
知らないうちに星からギュイーンと光線を当てられ、
そのような気分が盛り上がっていって
そうなっているのかもしれません。
さらには、
これまた星からのビームを当てられた誰かが
彼らの今後の行き先案内人のような役割を
するために突然出てきたりして。
このようにして人の運命が絡み合って
うまい具合にこの世が廻っているならば、
たしかに”星は良い仕事をしている"
と言えるでしょう。
良い意味で生きる幅が制限される、
というのも、
逆に考えてみれば、
星からの影響がなければ
人間は軌道の軸すらなく、
どうしたらいいかわからないまま
右往左往してしまうのかもしれない。
自己の資質を探求することもままならず、
物足りない人生になってしまうかもしれません。
しかも、みんながめちゃくちゃに動き、
あるいは動くべきところでも動かず、
宇宙がこの世をうまくまとめることは
できなくなるでしょう。
宇宙の支配下による星の繊細な仕事によって、
人間が使命を全うできる軌道が
作られていくということではないでしょうか。
しかし、宇宙は、
星を使って人間の運命を決めてしまっているわけではない
と言います。
人間は自由に選択できる。
だから、しなくていい余計なことをしてしまって
失敗することもあるわけで…。
無理して考えすぎないで、
星ビームに照らされるままに生きていれば
楽なのかもしれないです。
そういうことですか?
と聞いてみたところ、
人間は星たちと
二人三脚でいくわけだから、
星とよくコミュニケーションしてね、
などと可愛い答えが返ってきました。
星がどのように自分を導こうとしているのか、
耳を?
目を?
直感を、澄まして感じていくと
星が作ってくれるキラキラの軌道に乗って
心地よく生きることができそうです。
星との関係に意識を向けると、
人は原始的な喜びを感じるのかもしれない。
『星はなんでも知っている』という
歌のタイトルを思い出しました。
人間も実はなんでも知っているのでしょう。
星との関係の中で、その記憶を辿っているのだ、きっと。
2017年
5月
16日
火
<アースタロット>地球とダンス
『ダンス』の意味を知りたいと思いました。
人は昔からずっと踊っていますよね。
雨乞いとか、豊作祈願とか。
有名な日本神話でも、
引きこもってしまった太陽の神のアマテラスが、
隠れていたところからやっと顔を出したのは
踊りのおかげ、というエピソードもあるくらい。
現代では、
自己表現のひとつという芸術的イメージが強いですが、
本来のダンスの意味は?
祈り?
地球にとって、宇宙にとって、
人が踊ることとは?
今回はダンスについて、
この世を総括している宇宙(神さま?)のエネルギーを
タロットカードに降ろして聞いていきたいと思います。
ダンスとは?
と、単刀直入に尋ねてみたところ、
"高いところ(夢?)に手が届くように、
人のエネルギーを喚起させるためにある。
そして、そこに向けて前進できるエネルギーにする" もの。
ということを宇宙は教えてくれました。
喚起という言葉を
インターネットで意味を調べてみたところ、
喚起とは、
「眠っている意識を呼び起こす」
(『意味ブロ-ちょっと難しい言葉のまとめ』より引用
http://whatimi.blog135.fc2.com/blog-entry-68.html)
と書かれています。
ダンスをすることで、
人間の奥深くで眠っている
普段は使わないような超意識が
起き上がるのでしょうか。
ダンスは、
普通の人間の手では届かない高いところまで
エネルギーをつなげる手助けをしてくれる、
ようですが、
エネルギーさえつながれば、
人間は、夢のまた夢!のようなデカいものを
本気でリアルに信じることができるようになるみたいです。
そうすれば、
勢い良く前向きに、夢に向かって行くことができる。
じつはこれは、
天から近道を与えられる、
というようなことなのだそうです。
普通ならば、この、一見、手の届かなそうな夢、
それを信じることすら
人間にとっては難しいでしょう。
たとえ、それを夢みて叶えたいと思ったとしても、
そこにたどり着くことは簡単ではないです。
あらゆる手をつかわないとそれは無理!
と思うはず。
ある局面では、
必要ならば人を出し抜いたり、
欺いたり、自分さえをも裏切って
どうにかそこへ行こうとするかもしれない。
ダンスとは、
そういうややこしい道をナシにして、
一直線に簡単に、
夢へとたどり着くことができるエネルギーを得る方法、
なのだそうです!
踊りによって覚醒した状態でそれを夢見る場合では、
夢を信じることのできるレベルが
別次元くらいに違うらしく、
で、本当に別次元だから
ありえないようなことも
不思議と可能になってしまうのだそう…。
実際にまだ行動していなくても、
エネルギーさえしっかりのびて夢に繋がっていれば、
下書きに色が自動でつけられていくかのように、
宇宙から道がポンポン与えられていくということが
ありえるんだそうです。
だけど、毎日踊ってるけど別に??
と思う人もいるかもしれません。
じゃあ、どうやって踊ったらいいの?
ということを聞いてみました。
どんな気持ちで踊ればこの境地に行けるのか?
まず、
自分を喚起することができなければいけない、
この秘密を知ったからといって
それを手に入れようとして踊っても意味がない、
とのことです.…!
「自分を喚起する」って、
具体的にはど~いうことなのか?!
と聞いてみたら、
人間としてのあり方を
超越するエネルギーを感じるということ、
との答えが。
「人間は空を飛ぶことはできない」、
「人間はいつか死ぬ」、
「人間はテレパシーは使えない」、などなど
肉体によるあらゆる制限すべてを
「ほんとかよ?!」
と思って、
「空を飛べるかも」
「自分は死なないかも」
「よく考えたら、テレパシーって実は日常的に使ってるかも」
……と、本気で感じるところまで
自分をあげていく、ということらしいです。
"人間としてのあり方を超越するエネルギー"
を感じられた時、
我々は自然と、
心の中の水たまりのようなものを持たなくなるそう。
ダンスによる ”すごく楽しい” 状態が引き金で、
人間の中で眠っている何かのエネルギーが
パン!と立ち上がるから。
人間が最高に楽しい状態になるときには、
その人がいる磁場が変化するようです。
宇宙との境界線が消えるかのように。
全国各地の祭りで踊る風習があるのは、
神様を呼ぼうと、みんなで
その境目を消そうとしているのではないでしょうか。
注意点としては、
煩悩がある状態では
夢にエネルギーをつなげるのは無理で、
超純粋になったところからのエネルギーしか伸びない、
ということです。
「ああなったらいいな、こうなったらいいな」
という煩悩からの夢はまるで関係なくて、
魂が見たい夢にしかエネルギーは繋がらない。
ということは、踊りというものは、
人間の不要な(エネルギー?)ものを振るい落とすことにもなる、
ということかと。
心に余計な水たまり(煩悩?)がない場合、
よりその人らしい選択をすることができるようになる、
そうです。
自分自身の魂を見出す、という感じ。
瞑想でも、このように
魂のバランスを取り戻すことができるのかもしれませんが、
ダンスは体感が伴う分、
思考を超えやすいのかもしれません。
最後に、ダンスについて、
今度は宇宙ではなく、
地球のエネルギーを降ろして聞いてみました。
大昔は、人間の、間違えた思い込みの力というものが
とても強かったのだそうです。
例えば、あいつは敵だ!と思い込んだら、
その思いはもう固い石のようなものになってしまい、
どんどん戦いに発展していく、、というような。
(その頑固さがガツンガツン地球に響いていたという感じ)
そのような強い思い込みを崩すために
踊りは必要だった様なのです。
現代では、
小回りしながら、自分だけ無傷でトラブルを回避し成功したい、
というような人間の肝の小さいエネルギーが
地球にギリギリと針のように突き刺さるそうです。
地球はそれが嫌みたい。
なぜなら、それは人間が苦しんでいるエネルギーだから、
だそう。
私たちはもっともっと踊ったら良いのではないでしょうか。
楽になるために。本当の夢を叶えるために。本来の自分に戻るために。
地球に優しくいられるためにも。
このようにダンスをすることは、
宇宙や地球と
堅い契りのような握手をことになるのだそうですよ。
言葉にすれば、 "LOVE" という感じかな。
2017年
4月
15日
土
<アースタロット>愛は見えない
愛って一体何でしょう?
愛は見えないのに、なぜ人は愛を語ることができるのでしょうか?
みなさんにとっての愛とはなんですか?
愛について考えてみると、いろいろ疑問がわいてきます。
愛の概念はみんな同じ?
人はなぜ愛を必要とするのでしょう?
地球に愛は必要ですか?
今回は、この世を総括している宇宙(神さま?)のエネルギーを
タロットカードに降ろして、
「愛」について聞いていきたいと思います。
まず、人間が「愛」をどんなふうにとらえているかといえば、
「自分の手で勝ち取るもの。だけど、手にした瞬間、もしかしたら裏切られるかもしれないもの」、
と出てきます。
人間にとっての「愛」とは、ほとほと自分をうんざり、ガッカリ、あるいは怒らせるようなもの、
というイメージの様子。
ほんとうに?!
我々人間にとって「愛」はそんなものに成り果ててしまっているのでしょうか。
なぜそんなことに?と聞いてみたら、
「なぜ人間が、必ず「失望」や「怒り」の方向に愛を持っていくのかという質問か?」
と逆に聞き返されました。
そうだと答えると、
「元々、ほとんどの人間は、他者や外部のことを信頼することができていないため、
必ず裏切られるというシナリオを手に持って(想定して)いて、
それが現れるのを無意識下で求めるから」
と、人間をノックアウトするような答えが返ってきます。
そして、
「自分の外部を信頼しないで愛を求めることは不可能。
それは、愛ではなく、
仮の愛のようなものを作り上げようとしているだけ」
とのこと。
では、本当の愛とは?
「今、起こっていること、今、あることのすべてを、
それが一番良いものだと認めて完全に受け入れること。
その中で癒されること」。
起きている出来事がどんなに不本意だとしても、
それが自分にとっても全体にとっても一番良い形なのだととらえて手を放すこと。
その完全に安心した中で生まれる純粋な気持ち。
それが宇宙が言うところの愛だそうです。
しかし我々人間は、起きている出来事が不本意ならば
そこに執着してしまい、手を放すことができず、ムリヤリにでもそれを修正しようとするでしょう。
だから
「人間にとっての「愛」とは」 =「自分の手で勝ち取るもの、しかし、手にした後は、
もしかしたら裏切られるかもしれないもの」
というように表現されてしまうのか~……。
では、視点を少し変えて、地球には、愛が必要ですか?
と聞いてみました。
その「愛」とは、もちろん、先ほど宇宙が教えてくれた「愛」のことですが。
答えは、
「地球にとって必要というよりも、実のところは、人間が愛の状態を理想としているから、
それを追求していくだろう」
とのことです。
人は、宇宙が言っているような完全にすべてを受け入れる「愛」の状態が一番正しいに違いない、と、どこかでわかっているのだけれども、それを求める過程で、どこかズレてしまい、
自らの首を絞めるかのように苦しくなってしまっている、そう。
愛を手にしたいと焦りすぎ、そのせいで本当の愛ではない、もっと簡単に自分の手でどうにかコントロールできそうなものを愛と呼ぶことにしてしまったようです。
そして、勝手に思い描いた「愛」の状態を目標にし、状況を自ら操作をしていこうとするのだとか。
しかし、誰にも邪魔されないように四六時中、いろいろなところを見張っていなくてはいけないし、
状況が思いどおりにならなければならないほど気持ちが苦しくなり、
結果、「執着」というものになってしまうのだそうです。
そんなふうに、我々は本物の「愛」を回避して、自分の願望と「愛」とを取り違えて、
それを簡単に手に入れようとしているみたいです。
実はそっちのほうが難しいのに。
おまけに、本物の愛ではないから、手に入れることができたとしても、すぐに不幸を感じてしまうのに。
たとえば、
70歳の父親が「娘夫婦と一緒に暮らしたい」、娘がそうしてくれることが、
彼女から自分への愛の証明だと考えていたとします。
それを実現させるために、父親は、マンション購入時の頭金を出してやったり、一生懸命、野菜など作って娘の家に持って行ったり、度々電話などをするかもしれません。
しかし、共働きで忙しい娘夫婦にとっては、それはありがた迷惑でしかないかもしれない。
父親が近づこうとすればするほど、娘夫婦は離れて行ってしまうでしょう。
そうなれば、父親は、
「今までこんなにしてやったのに!」
と今、娘夫婦に対して恨みがましい気持ちになってしまうかもしれません。
あるいは、ムリヤリ父親が圧をかけて一緒に暮らすことが可能になったとしても、
それは誰の愛でもないわけで、父親にとっても娘夫婦にとっても、
毎日が不満の連続になるかもしれない。
けれども逆に、父親が遠くから何も言わなくても、ただ娘夫婦の幸せを願っていたら、
彼らは自然とその愛を感じとるに違いないのです。
そして、父親に直接、愛の証明を与えることはなかったとしても、彼が寂しいときに
側にいてあげることができなかったとしても、娘も父親にずっと愛を送り続けるでしょう。
はっきり形はなかったとしても、そこには愛が確かにあるのです。
2017年
3月
09日
木
<アースタロット> Be Cool
「人間は、ただ在ればいい」
と、言われました。
これは、タロットカードを通して、
地球 (!?) に、
「地球にいま一番必要なものはなんですか?」
と質問した答えです。
「地球だってただ在るのだから、
ケニアにいるキリンだって、
北極にいるシロクマだって、
マタガスカルにいるカメレオンだって、
ただ在るのだから、
そのように
人間もただ在ればいい。
そうすれば
" 地球と人間のあいだにある邪魔な黒いモクモクしたもの "
が消え、
自然なかたちで地球と繋がっていることが
その時にこそしっかりとわかり
深く安らぐことができる」、
とのこと。
" 地球と人間のあいだにある邪魔な黒いモクモク "
とは、人間の余計な思考。
なぜそのような黒いモクモクを
我ら人間が無意識にも発してしまうかといえば、
「人間の視界が曇りすぎているから」。
例えば、
暗闇で後ろから誰かに、ぽん、と背を叩かれて
「ヒィ~~~!!!」
と叫びごえをあげ、
そのとき相手が、
「どうしたの!?、僕だよ!君の友達の木村だよ!」
と腕を掴んで教えられても、全く気がつかず
「ぎゃ~~~~~!!!!」と
叫び続け、手を振り払って転げながら逃げていくような…、
そんな恐怖に私たちはどっぷりとハマりすぎて、
本当のことは
何も何も見えなくなっているのだとか。
人間はすべて必要なものを
あらかじめ持たされて生きているのだから、
それ以上に自分の安全を守ろうとせず、
不安に陥らず、
ただ生を謳歌していればいいのに、、、
と、この世を総括している存在(宇宙)は言います。
「必要なもの」とは、
おそらく直感ということだと思いますが。
とにかく、地球としては、
「余計な重たいものを乗っけるのはやめてくれないか」
と言いたいみたいです。
「重たいもの」とは、
物理的な重量のことではなくて、
先ほどの " 黒いモクモク " のこと。
人間が思考上に持つ「余計なもの」。
人間の頭にぶら下がる黒いモヤモヤ…。
それは、考えなくてもいいことを
なぜか考えてしまう人間の無駄な思考なわけですが、
地球からするとそんなものは
果てしなく無駄なものであり、
人間にとっても地球にとっても
大きな負担となるのだそうです。
言うなれば、
地球と人間の間にはだかる邪魔なもの。
そのような不必要なものをぶら下げ
足を引きずるかのように歩いている人間の状態は、
宇宙や地球からしてみれば
理解不能なほどにナンセンス!
「人間は感覚的に遅れすぎている」
ひとことで言ってしまえば、
「クールではない」そうです。
しかし、我々人間は、
「いろいろな悩みや思考を持つことは遅れている」
などというふうには
一度も考えたことがないかもしれません。
四六時中いろいろなことが
頭の中で鳴り響いている。
それが人間にとってはごく自然なことです。
だけど実はそれはとても不自然で
カッコ悪いことだとしたら、、、?
どうでしょう??
では、なぜ人間がそんなにも
地球が嫌がるほどの重たいものを頭にくっつけて
ぶらぶら歩きまわっているかと言えば、
「自分というものを偽って生きようとしてるから」
なのだそうです。
しかも、本当の自分を隠して生きているくせに、
「自分をわかってほしい」、
「あの人はわかってくれない!」、
「きちんと自分を受けれ入れてもらわないと!」
などと、まるで子供のように
叫んでいるような状態になっているのだそう。
そのジレンマいっぱいの頭の中で
多量のノイズを作り出し
地球と自分自身に負担を与えている。
さらに掘り下げてみれば、
「人間は間違えた夢を持っている、
ファンタスティックな夢を持たなくてはいけない、
そういう夢を持つことを自分に許せば、
本当の自分でいることができる」
と宇宙は言います。
「現実のサイズに合わせた夢ではいけない、
現実サイズの夢にすれば、
自らも現実サイズに
押し込めなくてはいけなくなってしまうから」。
ゆえに「自分を偽る」ということに
なっていってしまうのかも。
無意味にもがき、
悩まなくて良いところで悩み、
きれいに宇宙への電線が張られているところで
愚かにもヒステリックに騒ぎまくって
多量の無意味なノイズを作り出し…、
結果、
この世を恐ろしいステージだと考えてしまう人間の在り方は、
たしかに地球が言うように、
「非常に遅れているクールではない存在」
なのかもしれません。
聞こえないと思い込んでいるけれど、
きちんと必要な情報をキャッチする
直感というアンテナも持っているのに。
地球は、
何度言い聞かせてもわからず
勝手な恐怖を抱いて騒ぎ震えている人間に対して、
お手上げ状態にちがいありません。
しかし、
人間が頭の中でノイズを作り出すのを停止すれば、
地球としっかりつながることができそうです。
「ただ在る」ことにより、
地球と自然に充電しあうことができれば、
どんなことが起こったとしても
人間は恐怖など感じずに
乗り越えていくことができるそう。
そのように
「人間というものは、安全が完備されている存在」
と認識し、
そのことに自信を持った方がよい、
とのことです。
「君の肩をたたくのは
友達の木村くんであって、
強盗でも悪霊でも痴漢でもないのだから」。
それを恐怖にまみれて錯覚し、
怯えているなんて、ホントにホントにバカみたいです。
その虚構の世界を見続ける視界を破壊し、
いますぐクールな存在になるべき!
ではないですか?!