音楽が身近になければだめな人、音楽が人生を変えた人、音楽はさまざまな人の支えになっている。
一方で、テクノロジーやネットの進化で、音楽はより身近になり、ミュージシャンという生き方も時代とともに変わってきている。
でも、「音楽の社会的な役割」などと考えると、明確に言葉にすることが難しい。
若い世代のミュージシャンや音楽関係者がこれから生きていく上での具体的なノウハウとアドバイスを盛り込んで注目された『次世代ミュージシャンのためのセルフマネージメント・バイブル』の著者、永田純さんはいま、新たな音楽の居場所づくりに積極的に取り組んでいる。
永田純(ながたじゅん)
音楽エージェント/ プロデューサー。1958年東京生まれ。
下北沢や高円寺で過ごした70年代中頃よりコンサート制作等にかかわり、79~80年、YMOのワールド・ツアーに舞台スタッフとして同行。
84年坂本龍一アシスタント・マネージャーを経て、85年以降、矢野顕子、たま、大貫妙子らをマネージメント、細野晴臣、友部正人、野宮真貴、マルセル・マルソーらを代理した。
プロデューサーとしては 東京メトロ、六本木ヒルズ、東急文化村、J-WAVE、世田谷文化財団等の主催公演や、NHK「みんなのうた」、スタジオジブリ「ホーホケキョとなりの山田くん」サウンドトラック、「セサミストリート日本版」テーマ・ソング、「銀座線」発車メロディー制作等にかかわる。一般社団法人ミュージック・クリエイターズ・エージェント代表理事、元・東京シュタイナーシューレ理事。(敬称略)
取材・構成/大川原通之
写真/小林伸司
まずは永田さん自身の音楽との関りから。組織など従来の枠組みにとらわれない音楽の在り方を模索し始めたきっかけは。
僕は東京生まれ東京育ち。中学入学が1971年で、夏休みに「面白いもんができたぞ」と父に連れていかれたのが新宿のマクドナルドの2号店でした。
前年には大阪万博。そういう時代でした。バンド少年で、中学時代にラジオを通じて音楽に触れ、サッカーとバンドをやるというお決まりのコース。
学校が井の頭線沿線で下北沢や高円寺あたりをうろうろしていて、気が付いたら、下北沢あたりでブルースバンドを取りまとめているセンパイがやる日比谷の野音でのコンサートを手伝ったりするようになっていました。そんな中、二十歳の頃、細野晴臣さんとお会いする機会がありました。
「はっぴいえんど」が解散したのが中三の時。高校に入って、彼らのことを知ったときにはもう解散していました。後追いで大好きになり、そこからたどっていって細野さんが好きになり、奥が深く、とんでもない方だなと思っていました。
ブレイク直前のYMOがまだマネジメントの会社もなく、たまたまスタッフを募集していて、手を上げたら指名していただけて、半年後にはワールドツアーでした。それが1979年。ワールドツアーの頃、ローディとして動いていたのが僕ら。マネジメント会社はその後にできました。
当時はまだこういう仕事をしようという確固たる意志もなく、一度やめてバンドをやったりしていました。音楽に関わる裏方の仕事をちゃんとしようと初めて思ったのが25歳くらい。
最初に坂本龍一さんの運転手をさせてもらいました。そこから、ミュージシャンズミュージシャン、アーティスツアーティストという人たちの自己実現を120%完遂するという仕事に20年ぐらい邁進していました。
音楽が生まれる現場にいるのが好きなんですね、きっと。
僕の考え方が広がってきたきっかけの一つが、マネジメント・クライアントとして一番長くお付き合いのあった方が、アメリカに移り住むことになり、僕にプライベートも含めてマネジメントを丸投げしてくださったんですね。その時に、個人事業主としてミュージシャンが世の中に立っていくという視点と、そのときに何が必要になるのかということを一通り経験しました。
その経験を、クライアントであるミュージシャンだけでなく、多くの若いミュージシャンと共有できないかという事を90年代の終わりぐらいからぼんやり考えていました。
物を作る人が、組織の一員になる以外の、ほかの選択肢が示せないかと。そういうことも含めて、クライアントとの関係を通して学んだことをほかのミュージシャンにも広げていけないかなと考えたわけです。
こうした発想から、本の出版と社団法人の設立へとつながっていく。
そうして結果的に形になったのが、2つ。
一つは『次世代ミュージシャンのためのセルフマネージメント・バイブル』の出版。ミュージシャンだけでなく、カメラマンやデザイナーなど、ほかの職業の方にも共通のメッセージになるように努めました。こういう切り口の本が無かったようで、多くの反響をいただきました。
さらに一般社団法人ミュージック・クリエイターズ・エージェント(MCA)の立ち上げ。ともに2011年でした。90年代後半は日本のレコード産業史上最大の売り上げがあり、その後は下降線をたどり始める。21世紀に入ってiTunesをはじめとした新しいサービスが生まれましたが、2010、11年ごろにはみんな「この先はどうなるんだろう」と不安になっていた時期だと思うんです。その波と合ったのかなと。
MCAでやっているのは2つ。
まず、なんでも相談室。音楽と関わろうと悩みがある方、バンドやDJトラックメーカー、クラシックの演奏者など、これまで300人以上の方とお会いしてきました。大学生から、最高齢は75歳ぐらいの方まで。鉄道員を40年勤めあげてから、デスクトップで作曲をはじめ、演歌の作曲家としてやっていける方法があるのだろうかという、すごく真摯なご相談でした。相談室を始めた頃は、どうやったらメジャーデビューできますか、という相談がまだありましたが、さすがに今は皆無です。
最近面白いなと思っているのが、自分ではなくて、友だちがまじめに音楽をやっているけれど困っていて、自分も何か手伝えるのではないかという方が来てくださったりします。また、音楽大学で学び、卒業後はいったん音楽を封印して関係のない会社で10数年働き、あるいは家庭を持ち、さまざまな出来事があってやはり自分の人生の中で音楽を続けたいと考え、どんなやりかたがあるのかと相談に来られる方も増えてきています。
海外では複数仕事を持つことは珍しくないし、ウィークエンドミュージシャンも普通ですが、日本だと音楽で食べていなければなかなかミュージシャンとは呼ばれません。しかし、最近はそうではない流れが見えてきています。もっと間口が広くなってきた。働き方改革が叫ばれていますけど、サブとメインの副業ではなく、複数の仕事を持つ複業、それで人生をどう楽しく組み立てていくかという時代を迎えています。
取り組みはミュージシャンの在り方だけでなく、音楽そのものの位置づけへのアプローチへと広がっていく。
もう一つの流れとして、音楽家そのものというより、音楽が普段着として世の中に根付いていくためにどうすればよいか、ということを考えています。
きっかけとなったのは、この10数年、東京メトロのみなさんが駅の構内で主催なさっているフリーコンサートの制作運営や、キャスティング、企画などのお手伝いをするようになったことです。最初は銀座駅の構内で始まった催しでした。数寄屋橋の交差点のソニービルの地下に降りたコンコースのあたりにベンチを置くと70-80人ぐらいが座れるスペースがあって、きちんと導線をつくると立ち見300人、あわせて400人ほどの方々に聴いていただける環境が作れ、一日2回開催すると立派な会場になりました。そこでは主にポップス系のコンサートが開催されていました(現在、改修中)。
元々、東京メトロの社員の中に音楽好きな方がいて、なにかの周年行事のようなものをきっかけにスタートした不定期のイベントだったようです。ちょうど2005,6年頃、鉄道各社が運賃以外の収入をどう得るかということを考え始めたころで、いわゆる駅ナカの利用も多様化しはじめていました。その頃にご縁があり、会社としてきちんと継続していける音楽イベントの形を模索しているとのお話しがあって、そこから関わるようになりました。
まず、社員の方が立ち上げたコンサートを見に行ったんです。銀座駅の構内で平日の夕方ぐらいに開催されていたのですが、偶然通りかかった70歳くらいのご夫婦が足を止めて、ラテン系の音楽にあわせてその場でふたりで踊りだすんですね。
目から鱗でした。こういう音楽の楽しみ方、在り方、すばらしいなと。日本のレコード会社がJポップ中心に産業として大きくなった結果、とりこぼした視点じゃないかと思うんです。
これをきっかけにたくさんのことに気づかされました。3年ぐらい前からは渋谷駅の構内でもコンサートが開催されています。こちらでは、音楽大学などと提携したクラシック系の企画や、地元の商店会との協力関係の下、神社の秋祭りライブなどが中心になっています。
ほかにも、行政や文化財団主催の企画や、デベロッパーの方々が地元に還元するために開催する盆踊りやクリスマスイベントのようなコンサートのキャスティングや企画制作などに関わってきました。こういうことがきっかけで、少しでも普段着の音楽がもっと身近で楽しい形で根付くものになればいいなと思っています。
たとえば沖縄では三線教室がたくさんあります。それだけで食べていけなくても、代々受け継がれたものを未来につないでいく役割がある。そういうことに象徴されるような音楽の在り方が、もっと重視されてもよいように思います。
レコード会社に象徴される音楽産業は、売れればよかったし、音楽の聴き手を消費者として、マーケットとしてしか捉えていなかった。
しかし、いまそれとはまったく違う音楽の居場所が生まれています。裏方も、お客さんも、みんなで一緒に楽しもうという意識でバンドやフェスをやっていたりする。
そこでは、「演奏を提供する人」「聴きにくる人」「場を提供する人」という役割の違いはありますが、また、食べるものがあったり、映像があったりすることもありますが、とにかくみんなで一緒に楽しい場を作ろうという意識が生まれてきている。
「大量複製大量消費」というレコード産業は20世紀が最後のあだ花。音楽はその前からずっと続いています。一方で、新しい可能性がどんどん生まれているのに、古い価値観でそれを無理矢理ビジネスにしようという人がいます。
クラウドファンディングすらも「予約販売です」と言いきっちゃうような状況が出てくる。音楽のストリーミングサービスが日本ではなかなか広がらないのも、「定額聴き放題」としかとらえられていないからだと思うんです。
ストリーミングの本筋は、みんながつくったポップミュージックを人間の共通の資産としてネット上に集約し、すべての人がそこにアクセスしてシェアできるようにすれば人々にとっても音楽にとっても一番幸せではないかというのが基本理念だと思うんです。
「聴き放題サービス」という発想は、自らの所有物だけを用いて顧客を囲い込もうとする、まったく逆の思考ではないでしょうか。
この春まで京都の大学で教員もしていた永田さん。学生の街京都で新たな取り組みも展開し始めている。
今年の春まで6年間、週に2日だけ教員として京都の美大に通っていました。
創立50年の大学に6年前にできたばかりの音楽のコースでした。最後の3年間は、3、4年生と音楽をどう身近に置くかという事を一緒に考えました。音楽業界がつくってきた形をなぞるのではなく、まずはキャンパスの中にいるみんなが幸せになる何かを考えようと、音楽があってもなくてもいいから考えるところから始めました。
たとえば、昼休みに音楽サークルが中庭に機材を出してガーンとやりたいことやっても誰も聴いていない。じゃあ反対に、じわっと、あるいは意識されなくてもいいから、食堂の端で弾き語りなど生でBGMを演奏してはどうかとか。
昨年はフリーマーケットをやろうということで、前期はキャンパスから始めました。後期にはキャンパスを出るつもりだったので、大学近くに一条寺という500mぐらい割と個性的なお店が連なったエリアがあるのですが、そこのお店の軒先を借りてフリーマーケットスペースを設定し、僕らが出展者を募集し広報して開催しました。思った以上に近隣にお住まいの方も来てくださって、一条寺フリーマーケットという名前でそのまま地元に根付いていく感じになっている。音楽の在り方もそういうことなのかもしれないと思うんです。
その活動の延長で、京都に法人を一つ作ろうと、現在準備を進めています。教員時代、いくつかの介護施設で学生が歌を歌う機会をいただき、喜んでいただいたことがありました。学生も放っておくとライブハウスで歌うだけで、それが歌を歌うことだと考えるところで終わってしまう。そこで「こういうところにも音楽を待ち望んでいる方々がいらっしゃるから、少しレパートリーを修正して、歌ってみない?」と学生に声をかけてみたんです。
そもそも高校出て大学入ったばかりの18歳には80歳の人に自分の歌を聴いてもらうっていうイメージができない。で、彼らがもともとレパートリーにしていた中島みゆきの「糸」のような曲に「上を向いて歩こう」「黄昏のビギン」などを加えて、弾き語りのシンプルなパッケージで50名程度のお年寄りの前で歌うと、泣いて喜んでくださる方もいらっしゃいました。歌の持つ力を体感する機会になり、学生たちも感動し、彼ら自身が変わるんです。歌うこと、音楽を演奏することの意味合いが全く変わってくる。
そうした活動も継続性を持ってできるかなと思って法人をつくろうと思っています。
僕は16、7歳の頃に、東京のライブハウスで関西系のブラックミュージック、「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」や「ウェスト・ロード・ブルースバンド」とかを聴いて衝撃を受けて、その影響で京都のライブハウスに通ったりしたんです。
そんな縁のあった京都という場所で、毎週大学に通ったこの6年間で、この街を楽しい場所にするために毎日アイデアを一個一個考えている人とか、ストリートピアノの準備をしている人とか、障害者のアートプロジェクトなどに関わって大学と行政をつなぐ役割を担う人とか、そういう何人かの人たちと知り合い、かけがえのない信頼関係を育んでくることができたので、みんなで一緒に一歩一歩進んでいける枠組みがあれば、少しづつなにかが変わるかもしれないと考えています。
ハレとケでいえば、ハレに関わる人はたくさんいるから、自分はケでいこうと。フェスという特別な場じゃなく、日々の通勤や買い物の途中で音楽と出会えるような。転換期だからこそ大事なことを積み重ねていきたいと思うんです。
ミュージック・クリエイターズ・エージェント
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