カテゴリ:田中正造没後100年


06日 7月 2013
足尾銅山の繁栄は、渡良瀬川流域を死の川とし、村の自治を破壊し、鉱毒により田畑を荒らし、人の命をも奪った。これが本当の文明であろうかと正造は問うた。私たちは同じ構図を福島で目の当たりにしたのだ。(渡良瀬通信「田中正造がキーワードになる時代」) 「百年を経て今に蘇る田中正造の伝言」アーカイブ(2012年12月16日初出)
05日 7月 2013
政治家が、正義とか道徳があることを忘れて政治を行えば、民衆は本質を失い堕落する。そうさせないために国民は、政治家を絶えず監視しなければならない。また、その監視を怠れば政治家は国民を騙し、盗みをするというものである。 (渡良瀬通信「田中正造がキーワードになる時代」)...
16日 12月 2012
まことの人は、さりげなく世の不正を見逃さず、さりげなくそして敢然と闘っていて、そして大変忙しい。(渡良瀬通信「田中正造がキーワードになる時代」) 「百年を経て今に蘇る田中正造の伝言」アーカイブ
15日 12月 2012
谷中村村民はどん底の中で国や古河鉱業と闘いつつ、毎日の生活の糧を得ながら生きている。その中で大洪水に襲われ仮小屋が流される。このような状態を詠んだもの。(渡良瀬通信「田中正造がキーワードになる時代」) 「百年を経て今に蘇る田中正造の伝言」アーカイブ
13日 12月 2012
埼玉県の利島・川辺村の遊水地化に対する反対運動を指導した時、納税拒否と徴兵拒否の決議をして大運動に展開した。その時、警告した言葉。(渡良瀬通信「田中正造がキーワードになる時代」) 「百年を経て今に蘇る田中正造の伝言」アーカイブ
13日 12月 2012
栃木県・明治政府のやっていることは呆れるばかりだが、そうしてもいられない。何か云って応えなければならない。(渡良瀬通信「田中正造がキーワードになる時代」) 「百年を経て今に蘇る田中正造の伝言」アーカイブ
12日 12月 2012
憎まれれば憎まれるほど、人間として生きる自信が沸いてくる。谷中村村民を励まして明治政府と闘う覚悟ができる。(渡良瀬通信「田中正造がキーワードになる時代」) 「百年を経て今に蘇る田中正造の伝言」アーカイブ
11日 12月 2012
社会が物質的な発展のみを追い求めていたら、人間社会は暗黒になってしまう、天然自然のエネルギーを活用し精神的な発展を先行していく文明を追及していくべきである(渡良瀬通信「田中正造がキーワードになる時代」) 「百年を経て今に蘇る田中正造の伝言」アーカイブ
10日 12月 2012
鉱毒に汚染された米や麦を知らずに食べている様を毒食(どくじき)というが、少しくらいだから食べても良いという理由にはならない。少しくらいが溜まり溜まって大きな害になる。今でいう放射能の溜まり方に似ている。(渡良瀬通信「田中正造がキーワードになる時代」) 「百年を経て今に蘇る田中正造の伝言」アーカイブ
09日 12月 2012
1900年(明治33年2月17日)の亡国演説より。4日前に起こった官憲の被害民への暴行に対する正造の怒りの演説の一部。明治政府が被害民を国民とは思わず弾圧し、法律を無視して被害民を苦しめている。これはすでに国家ではないという川俣事件への抗議である。 (渡良瀬通信「田中正造がキーワードになる時代」) 「百年を経て今に蘇る田中正造の伝言」アーカイブ

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